更新日: 2017/04/03
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ティーンズハート調査中に気づいたことなどをメモ。
講談社X文庫ティーンズハートの青山えりかは、ライターの黒部エリのペンネーム。
公式サイトの「PORTFOLIO」コーナーでで少女小説を書いていた頃の思い出を書いている。
【ERI KUROBE】
ティーンズハートはいろいろと大人の事情があるレーベルなので、書いてる人の実態がよく分からんのよ。あちこちから書けそうな人をひっぱってきて分身の術とか変身の術とか身代わりの術とかいろいろ使わせたようなので。コバルト文庫は受賞者メインなので、経歴はオープン。
私が小野不由美《悪霊》シリーズのティーンズハート版を購入したのは1999年7月でした。
新刊書店にはまだTHが並んでて背が緑のとピンクのと混在してたような。
ファンタジーっぽいのは重版分から緑背に変えたんだと思うけど。
ティーンズハートの緑背ができたのはいつからなのかなぁ。あと、角川のティーンズルビー文庫が出たのが1999年9月。
ティーンズハート、1987年に内館牧子ですら3冊で終わってるのを見ると、技術だけじゃだめなんだろうなぁとか思います。
ミステリーやホラーやコメディは技術で一応なんとかなるけど、ガチの恋愛物はピンポイントで読者のツボを突かないとだめなんだよ、きっと。
ティーンズハートの神崎あおい『ヨコハマ指輪物語』が1988年4月刊行で妖魔退治(?)ファンタジーらしい。
前田珠子『イファンの王女』や若木未生『ハイスクール・オーラバスター』より前にそういうのが出ていたと知って驚いているなう。THだからコメディ仕立てだと思うんだけど。
『ヨコハマ指輪物語』、ティーンズハートだから、横浜を舞台に彼氏から指輪を貰った女の子が恋に悩んだりきゃっきゃうふふする話だとばかり思っておりましたよ。
1988年から1990年にかけての倉橋燿子の刊行ペースがすさまじくてビビった。「月刊 倉橋燿子」だ。小林深雪、秋野ひとみも隔月刊ペース。
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講談社X文庫ティーンズハートが意外にあなどれないことが判明したので、もう少し真面目にデータを拾ってみることにした
。ファンタジー系は『日本幻想作家事典』に載ってるはずだから照らし合わせる。
コバルト文庫もティーンズハートも年4〜6冊刊行ペースで書けないと売れっ子には慣れなかったんだろうなという印象。
でも当たれば見返りは凄かったみたいですけどねー。
全盛期のコバルト文庫がどんだけ儲かっていたかというと、読者500人をベイクルーズに招待出来るぐらい。
こんな折込チラシがありました。1990年の夏。バブルですねー。
セーラー服サイキックバトルの元祖はやっぱり「超少女明日香」なんでしょうな。1975年か。
直撃を受けたのが1960年代生まれで、つまり早見裕司さん(1961生)の世代。ただ男性がリアルタイムで漫画読んでたかどうかはわからんけど。スケバン刑事が1976年で実写ドラマが1985年。
で、懐かしのコラムも発掘。ここを読んでもう一回ティーンズハートチェックし直そう。
【早見裕司 ジュニアの系譜】
ラノパのサイト、2005年からずっと保全されてるんだねぇ。管理人さんありがとう。
あれから、もう7年か。トンボさんはNHKにまで出ちゃったもんねぇ……(もちろん観た。ラノベの冊数には驚かないが、物が何もない和室には驚いた。うちでは無理だ)
ネットでは何度も繰り返し出てくる話ではありますが。
私はニフティの会議室にはいなかったけれど、「ライトノベル」という言葉に反発があった時期のことは覚えていたので、まとめてみましたよ。
【「ライトノベル」という呼称 - Togetter】
「ライトノベル」という呼称ができた経緯
↓RTふむふむなるほど…と思いつつ、多分二十年前にも「最近のファンタジー小説と言われるのは自分らが読んでたジュヴナイルに比べて」とかいう議論があったんじゃなかろうかと思った。その頃のニフティの様子とか神北さんに聞いてみたいものだが、ログは確か残ってないんだっけか…
— 我乱堂さん (@SagamiNoriaki) 2月 2, 2012
ジュブナイルじゃなくて、ヒロイックファンタジーと比べて違和感を感じてる人はいたようです。
80年代ファンタジーへの違和感の表明でとりあえずみつけたのは、SFマガジン1994年3月号「1991年SF回顧」の小谷真理さんによるファンタジイ総括。鏡明さんもどっかで書いてたような。ファンタジーじゃなくてファンタシィだとかなんとか。
そもそも「最近のコバルト文庫とかスニーカーとかをまとめて呼ぶ名前がほしいよね」といって「ライトノベル」という語が出来たのです。(正しくは「スニーカー文庫」じゃなくて「ソノラマ文庫」だったようです)
ニフティサーブのSFフォーラムで「ライトノベル」という語が出来た経緯
【SUNTORY SATURDAY WAITING BAR 2006年6月3日の放送「ライトノベル」】
「ライトノベル」という呼称への反発
2001年ごろまで「ライトノベル」語に対しては作家(主にSF系)の人から「『ライト』ってゆーな」という反発がありまして、そのせいでライトノベルフェスティバルも最初は「ティーンズノベルフェスティバル」でした。名称変更は2002年。
【LightNovel Readers 2002.1.8 Vol.1】
1998年9月ごろSF系サイトの一部で、作家・書評家が「ライトノベル」という呼称に違和感を表明。大森さんの日記の【9月11日(金)】のちょっと上あたり参照。
【狂乱西葛西日記98年9月8日〜9月11日】
作家側に「ライトノベル」という語に抵抗があったという話は、大森望さんの日記などを参照
【狂乱西葛西日記99年10月26日〜10月31日】
作家側に「ライトノベル」という語に抵抗があったという話は、喜多哲士さんの日記1998年9月上旬 9月3日(木)あたりも参照。 【ぼやいたるねん:ぼやき日記】
2000年1月24日、2chに「ライトノベル・雑誌・エンターティメント板」誕生。
【2ch・ライトノベル板の歴史 - ライトノベル板連絡所@JBBSしたらば】
「そもそもライトノベルって何よ?」というスレがあるくらいなので、「ライトノベル」という呼称は一般的ではなかった模様
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「ライトノベル」が一応の定着をする前にSF界隈で使われていた言葉は「ヤングアダルト」ですね。
「ジュブナイル」という言葉もあったけど、「ジュブナイル」は「少年少女向け」とか「児童文学」っぽい印象。
SF系の人は割りと「ジュブナイル」という呼び方をするような気が。
SFオンライン雑誌ではジュブナイルSFの特集もありました。現物は消えたのでInernet Archiveで見てね
:SF Online 第25号【1999/3/29】特集:「ジュヴナイルSFの冒険」
ミステリー系の人は「ジュニア」って呼ぶ気がする。
コバルト文庫創刊の1976年に「角川文庫SFジュブナイル」という翻訳シリーズのが出てるので、それでSF系では「ジュブナイル」という言い方が普及したのかも。
と、Twitterに書いたら、それ以前から普及してたというレスが。
@ailsato 僕が中学生の頃にはジュブナイルと言っていたと思うので、角川以前から普及していた言葉だと思います。英語とかからですかねえ?
— 山田道夫さん (@yamsan) 2月 3, 2012
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頭痛が治まったので、ティーンズハートのリスト作成再開。
『日本幻想作家事典』と突き合わせやってるんですが、すげー、あれもこれもちゃんと載ってるよー。結局私のやろうとしてることは、『日本幻想作家事典』の付録作りみたいなもんなんだよな、と改めて思いました。
石堂藍さんは『日本幻想作家事典』に年表つけるつもりだったらしいんだけど、ページ数と手間が膨大になってしまうので断念したようで。せめて自分が覚えている期間だけでも、年表作れたらいいんですけど。
山中 智省『ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで』(青弓社 ,2010-09,2100円, ISBN978-478729197-4)を読んだ。
新聞雑誌書籍に掲載されたライトノベル関連の記事を浚って再構成した研究書。
私も同じような手法で調査してたんで、まあ、よく調べたねぇと感心しました。
「だいたいあってる」けど、メディアに出た解説はピントが外れたものもあるので、そこから導きだされた考察はリアルタイムで体験した人間から見ると多少の違和感じる。インターネットへの言及もあるけれど、2chの存在がずっぼり欠けてるし。掲示板の内容を研究に値する形で記録に残すのは困難なので、仕方ないのだが。
SFマガジン関連の記述も多いが、野尻抱介が「SF領域で「ライトノベルの枠組み」を駆使して活躍していた作家」と紹介されているのがなんか皮肉だなぁと思ったり。さすがに「ライトノベル作家」とは書いてないし、正しいといえば正しい記述ではあるけど。
何が皮肉なのかといえば、1998年ごろに「ライトノベル」という呼称に違和感を表明したのが野尻ボードの人たちだったから。野尻さんは2004年ごろには抵抗をあきらめたみたいですが。
野尻抱介先生からのメッセージ
新作がなかなか出ない野尻抱介です。ごめんなさい。今年こそなんとかする予定です。
さて、「ライトノベル」という呼称は今でも嫌で嫌でしょうがないんですが、ついに定着してしまった感があるので、もう降参することにします。ともかく言葉が定着したので、ハンドリングしやすくなりました。昨今のライトノベル・ブームの一因かもしれません。
【ライトノベル・ファンパーティー メッセージ集より】
「外側から見たライトノベル」の歴史研究としてはよくできていると思うので、オレの知ってる歴史と違うと思う人は、disってないでさっさと自分のオタク史を語りなさい。「現場」にいた人しか分からないことはたくさんあるんだから。
ああ、私がいう「現場」ってのは書き手の「現場」じゃなくて、読み手の「現場」ね。(書き手はまだ言えないことが多いであろう)特に新聞に出るブームの分析というのがどうもピンとこないというか、ワンテンポ遅れている印象なんで。ブームのど真ん中で消費してた人の証言が聞きたいのですよ。2chにいくと昔話があったりするけど、あそこで情報をより分けるの大変だし。
それを考えるとブームのど真ん中で消費してる人のコメントがニコ動やYouTubeにどんどん蓄積していくボカロ現象って、前代未聞の事態なんだよなぁと思います。
だいたい始まりがきっちり観測できるブームってことからして、前代未聞。
購入ガイド
4-7872-9197-1
レーベルごとの発行日付きの全データがあって、ファンタジーかどうかの区分もあったら、縦軸に作家名、横軸に日付をとって、本の発行ごとにプロットしてくプログラムはすぐ出来そうなんだけど、ロジックはともかくrubyの書き方を忘れている。
最後にrubyに触ったのって2008年だ。rubyじゃなくてもいいんだけど、今のpcでローカルでまともに動く環境がそれしかない…あ、JavaScriptでやるという手が。でも、それも2008年から触ってないな。
とりあえずプログラムのロジックだけメモって、さっさとリスト作ろう。
2011年6月の末ごろのTwitterでのラノベ談義のまとめ。
【Togetterのゆうきさんと京田さんのラノベ談義まとめを読んであまりの歴史感覚のズレに頭を抱える - Togetter】
私が和製ファンタジーについて調べ始めたのは、実は1999年のことなのだった……。
まとめはこれ→ Aliログ:和製ファンタジーのルーツ
いろんな人が自分のオタク史を語る転載メールが読み返してて面白かった。なんでも保存しておくもんですね。
昔の自分の日記を読み返してもリンク先がほとんど消えてるのが残念。もう少し内容を引用しておくんだったな。
和製ファンタジーの年表を作り始めて飽きて放り出して、そのあとなぜかスニーカー文庫の歴史について調べ始めたのが2003年ごろ。【2003年 07月 下旬:Alisato's 本買い日誌】
この頃から「みんな自分のオタク史語れよー」っていってますんですがw
昔の自分の日記でカドカワノベルズについて言及した箇所があった。
【2003年 10月 中旬:Alisato's 本買い日誌】
カドカワノベルズが最初に挿絵入り新書を出したんだと思うんですが。『凄ノ王伝説 1』1982年10月刊行。
昔の日記を読み返して、皆川ゆかのティーパーティシリーズの1冊目を読んでいたことに気がつく。
井上ほのかも読んでた。面白かったことだけは覚えているけど、ぜんぜん内容を覚えていない。
行動パターンだけは同じなのに、10年前の自分ってまるっきり知らない人だな。
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Togetterにまとめた分から、自分の発言関係抜き出し。
【クラスタ化している日本のファンタジーファン - Togetter】
●『幻想文学』とファンタジーブーム
『幻想文学』誌が、1980年代のファンタジーブームと関係があったかどうかですが、あの雑誌はは結局マニア向けの小雑誌だったので、作家志望者には影響あったんだけど、一般読者には影響なかったと思います。
石堂藍さんによると、ファンタジー特集はホラー系特集に比べると全然売れなかったとのこと。ちなみに売れたのはラブクラフト特集と吸血鬼特集。
ドラクエは意識してないと思いますが(東雅夫さんはゲームしない。石堂藍さんはするそうです)、ゲームブックから始まる出版界でのファンタジーブームは意識したようです。「これからはファンタジーっだ」って特集したけど売れなかったとwいう話。
ハヤカワ文庫FTは売れてたんで、海外ファンタジーの読み手は多かった。ただ『幻想文学』は論文メインだからFTファンが食いつかなかった。
「ファンタジー」ファンにはTRPGで遊んだり、スニーカー文庫を買う層の他に、『ナルニア』のような児童文学やハヤカワ文庫FTを買う層(20代女性が多かった)というのもいて、『幻想文学』はそこを取り込もうとファンタジー特集組んだけど、ダメだったという話。
『幻想文学』は評論とブックガイドとインタビューで構成されていて、19号《特集◎ヒロイック・ファンタジー》だと、滝島繁則「さみしい野蛮人――R・E・ハワードの生涯」風間賢二「〈野性人幻想〉の物語」などが掲載されてる。
『幻想文学』19号
児童文学ファンタジーやハヤカワ文庫FT読んでる層にとっては、「R・E・ハワードって……誰?」なわけですよ。(実は私も思った。『英雄コナン』の作者です) で、『幻想文学』19号はあんまり売れなかったと。
『幻想文学』の内容は、総目次を参照。幻想怪奇方面に特化した装丁の黒い『ユリイカ』、みたいなもんです。
アトリエOCTA 刊行物一覧
●80年代前半のファンタジーファン
『幻想文学』16号には、中山星香のインタビューが掲載されてますが、TRPGが出てくる以前の1980年代前半にファンタジーファンがどこに集まっていたかというと、中山星香ファンクラブとかローラリアスとかにいたんだと思う。
中山星香ファンクラブは1979〜1999年まで活動した公認ファンクラブ。一時は会員数1000人規模にまでいったはず。会報と会誌を出し、交流会も活発に行なって、そこでは中山星香作品だけでなくファンタジー全般についての情報交換も行われていた。男性会員の割合がかなり高かった。
私は中山星香ファンクラブの割りと初期からの会員だったんだけど、1990年前には会費納入が面倒くさくなって退会しました。TRPGが流行りだしたころは、交流会(「お茶会」と称してましたが)でTRPGをやったりもしたみたい。
「ローラリアス」はヒロイック・ファンタジー&ファンタジーFCで、小谷真理さんやひかわ玲子さんがいたところです。創立は1977年。SFファンダム系ですね。
【ローラリアス】
「中山星香ファンクラブ」には「ローラリアス」の人も何人かいたはずですが、SFファンダムとは違う位置に立っていたし、会員もヒロイック・ファンタジーじゃなくて、主にハヤカワ文庫FTを読んでいた。
つまり1980年代前半には、SFファンダムともTRPGとも関係のないファンタジーを読む層が少しではあるけれど存在したという話。中山星香はハヤカワ文庫FTのナンシー・スプリンガー《アイルの書》シリーズの挿絵を描いて(1984)、おかげで《アイルの書》はすごく売れたのです。
すごく売れたっていっても「当社比」ってことだと思うけど、ともかくタニス・リーと《アイルの書》が売れたんで、ハヤカワ文庫FTは女性向けロマンスにシフトして、担当者の風間賢二さんが出したかった幻想っぽいのは出なくなっちゃった……らしい。
ハヤカワ文庫FT売上の話はSFセミナー2004「ハヤカワ文庫FT25周年記念!」のレポートを探すと読めますな。
これとか→ 【SFセミナー2004レポート】
●ファンタジーファンがR.E.ハワードを知らないのか!?
ハワード知らないファンタジーファンなんているのかって、ツッコミが来てるんですが、いると思います。
児童文学系の人は多分知らない。ピーター・S・ビーグル知らないファンタジーファンだっていると思うし。
『英雄王コナン』じゃなくて『コナン・ザ・グレート』っていえばいいのか。1982年に日本公開されているけれど、どの程度売れたんだろう?
『コナン・ザ・グレート』は、『ターミネーター』ヒットの後で、シュワちゃんが出てるからという理由でTV放映されて有名になったような印象がある。もっとも日本公開時にヒットしていても私が目を逸らしていた可能性はある。マッチョ苦手なんで。
ヒロイック・ファンタジーから入った人だとタニス・リーあたりで、「なんか違う」になって、ヒロイック・ファンタジーダメだった人はタニス・リーで「これが私の求めていたものだー!」になるのかな。私は後者です。
●国産FTファンの分裂っぷり
ファンタジーファンはクラスタに分かれていて、自分のクラスタ外の作品には興味がない……という印象がある。と、Twitterに書いたところ、とくめー@東京(@FXMC_)氏より、「国産FTファンの分裂っぷりについてはだいぶ前にblogで書いたなあ。日本に導入されるルートからして別なんだもの」という反応をいただいた。
【ファンタジーという四つ首の龍 : 2009-10-21 - とくめー雑記(ハーレム万歳】が、その記事。
日本国内で「ファンタジー」という看板をつけられている作品は、だいたい4つの系統に分けられてしまう。
・ハードカバーやハヤカワ・創元の“海外文学”系
・図書館の児童コーナーでよくお目にかかる“児童文学”系
・基本的に女性作家の手になる“少女小説”系(この名称の不適切さは認める)
・ライトノベルやコミックといった媒体にまで広がる“RPG”系(さらにTRPG・ラノベ系とコンピュータRPG・コミック系に細分できる)
日本国内にファンタジーというジャンルを普及させるための試み自体が、かなり分裂した形に行われていたようで、「共通の祖」と見なせるような個人あるいは集団は、日本国内には存在しない。かつてのSF大会や、推理作家協会のような、統一的なコミュニティも存在しないし。
それどころか、作家にしても、読者にしても、違う「系統」の作品を同じ「ファンタジー」と見なしていない節がある。
と、あって、私としては細かいところは置いといて、「だいたい合ってる」という印象。あまり異論はないです。
●ファンタジーはSFのサブジャンルだったのか?
RPG系のファンタジーが登場するまで、国産ファンタジーはSFのサブジャンル扱いだったと思う。
ヒロイック・ファンタジーはSFの一種。幻想小説っぽいのもSFの一種。なんせ山尾悠子がSFマガジンのコンテスト出身なのだし。
『SFマガジン』1990年12月号のインタビューで井辻朱美が「だいたい5,6年前まで日本にはファンタジイというのがなかったんですよ」と言っていて、井辻朱美にしてこの認識なのかーと驚いた。
それ以前のものはSFか児童文学に振り分けられていたんですかね。
その頃には中山星香はFT漫画を描いているので、「小説では」っていう意味なのかも。
『SFマガジン』1976年12月号「特集:冬の夜のファンタジイ」に掲載されているのは、今日泊 亜蘭「綺幻燈玻璃繪噺」 山尾悠子「ムーンゲート」横田順彌[機器怪快譚」など。
『SFマガジン』に掲載された作品は「ファンタジイ」なので、「ファンタジー」とは別物なのかもだw 剣と魔法の世界というより、幻想小説に近い。
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整体。パソコン仕事をしてたせいか、首コリと腕のコリが酷かったようです。
この間『ラピスラズリ』を再読して山尾悠子熱が高まったので、『夢の遠近法』を購入。
かまたきみこ『KATNA』が角川書店に移っていたのを知る。角川だと、掲載雑誌の知名度が高いから新刊が平台のいいところに積んでもらえるのなー。
ジュンク堂の漫画売り場にある大量の漫画を見ながら、これらの作家すべてを網羅した漫画家大辞典を作るとしたら、どういう作業をしたらいいのかね、と考える。出版社別母体雑誌別に担当をつけてデータの雑巾がけするしかないんだろうなと思う。
書誌情報というのは版元が消えると、いきなり辿りにくくなってしまう。書店のデータベースから消えたり、データがメンテされなくなったりするからだろうと思う。
考えてみると、あの大量の書籍データをなんとか扱いきれている取次のシステムっては、凄いもんなんであるね。
駅のバレンタイン特設売り場で≪オリジンーヌ・カカオ≫チョコレート詰合せ6個入を買いました。
キャラメル・サレが美味しかったー。塩キャラメル。
もうひとつはエコール・クリオロ のベストアルバム。味見したブラックベリーティーのは美味しかったけど、アニス入ってるのはイマイチ好きじゃなかった。
いつもはバレンタインチョコレートはゴディバだけど、今年は変わったのを食べてみるかと、ほかのところにしてみたのだ。(一応夫にあげるけど、二人で食べる) 夫はゴディバでよかったのにという反応。スパイスが入ってるのは好きじゃないそうだ。舌がお子様だからなー。
石堂藍さんの公式ブログにファンタジーブームと『幻想文学』についての記事がアップされました。
【2012-02-07 - 萩の塵拾い】
もう少し「端的な回答」というのもメールでいただいたので、そちらはTogetterでまとめました。
【『幻想文学』関係者への質問とその回答 - Togetter】
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ジュンク堂の漫画売り場にある大量の漫画を見ながら、これらの作家すべてを網羅した漫画家大辞典を作るとしたら、どういう作業をしたらいいのかね、と考える。出版社別母体雑誌別に担当をつけてデータの雑巾がけするしかないんだろうなと思う。
書誌情報というのは版元が消えると、いきなり辿りにくくなってしまう。書店のデータベースから消えたり、データがメンテされなくなったりするからだろうと思う。あの大量の書籍データをなんとか扱いきれている取次のシステムっては、凄いもんなんであるね。
石堂藍さんの日記のコメント欄に書いたものですが、ひと様の日記だとあとで見失うので、こっちに転記。
alisato 2012/02/09 16:09
漫画では、ドラクエ以前に少年漫画系ではジャンルとしてのファンタジーは存在しないので、対象は少女漫画のみになりますね。
指輪物語文庫化開始された1977年に坂田靖子「おばけ地帯」、中山星香「はい!どうぞ」山岸凉子「妖精王」が掲載されていて、このあたりでマニアな読者にはジャンルとしてのファンタジーは認識されたと思います。
ただし少女漫画ではすごーくニッチなジャンル。
それ以前はSFとSFファンタジーと怪奇ロマンしかなかった気がします。
「ポーの一族」は怪奇ロマンと銘打たれてました。(「一週間」の予告カットにそう書かれていた)
花郁悠紀子のデビュー作「アナスタシアとすてきなおとなり」が1976年だから、このへんで「ファンタジー」という言葉は出てきたかな?
メルヘンとファンタジーがごっちゃにされていたこともあるので、そこらへんは調査しないと。
alisato 2012/02/09 16:25
1966年の谷口ひとみ「エリノア」はメルヘン扱いのようです。
1977年の阿保美代はファンタジックメルヘン扱い。
米沢嘉博さんの『戦後少女漫画史』初版1980年には「夢と知りせば――ファンタジーの展開!」という項目があって「ファンタジー(妖精世界)」という扱いで、ファンタジー系作品が挙げられています。
alisato 2012/02/09 16:30
高階良子「はるかなるレムリアより」1975年『なかよし』連載、曽祢まさこ「海にしずんだ伝説」1976年『なかよし増刊号』掲載なので、少女漫画には1976年ごろにはファンタジーっぽい波が来ていたようです。
ただし「ファンタジー」という用語は使われず、コミックスの作品紹介では、「少女まんがでは、はじめてともいえるユニークな幻想物語」と書かれています。
どうも1975年あたりに少女漫画にファンタジーっぽいブームが起こった印象。
24年組からの流れだと思うんですが、どうもはっきりしない。
「あなたのファンタジィ」は1977年〜。
【あなたのファンタジィ目次-Grape fish】
こーれかー!!
仕掛け人は寺山修司。
という話をmixi日記に書いて、コメントでいろいろ情報をもらった。
mixiでもらった情報いろいろ。
水野英子に『星のファンタジー』というコミックスあり。「星のファンタジーは」コミックスのタイトルで、このタイトルの作品はない。
昭和43年(1968)8月20日初版
水野英子『星のファンタジー』:猫と花の日々:So-netブログ
石森章太郎「ジュン」は初出から「ファンタジーワールド」。 1967年、『COM』掲載。
サンリオのリリカ増刊「ジュン」は「メルヘン寓話」と銘打たれていたそう。
初期作品の「青い月の夜」も、昭和51(1973)年発行のサンコミックスではメルヘンと紹介されているそう。
虫プロ版を紹介したブログ→【石森 章太郎 選集 第2巻 「青い月の夜」 - 猫とマンガとゴルフの日々】
水野英子『星のたてごと』連載時(62年5月号別冊フロク等)には煽り文句に「ファンタジー」という言葉は出てこないそう。
これを教えてくれた方は、ご自分のサイトで『星のたてごと』のことを書いてらっしゃいます。
【Gomiな京都史とマンガファンダム勃興史:水野英子「星のたてごと」】
あしべゆうほ『クリスタルドラゴン』は1981年開始。
萩岩睦美『銀曜日のおとぎ話』は1983年開始。
ますむらひろしがいたのを失念していた。
「ヨネザアド物語」(1975年、ガロ)「ますむらひろしのファンタジーゾーン」(1976年 )
1980年初版の米沢嘉博『戦後少女マンガ世界』では、「ファンタジー」という用語がばんばんでてきますから、少なくとも漫画界の人にジャンルファンタジーの概念はあった。ただし「ファンタジー(妖精物語)」みたいな使い方。RPGはまだ登場してないから、そっち方面の意味はないw
花郁悠紀子『アナスタシアとおとなり』コミックスを発掘。
巻末のプリンセス・コミックス紹介一覧では「魔法と夢と幸せと、花と光と遠い日々を、くるんでさしだすファンタジックなお話…。」と紹介されていた。
『ピグマリオ』のコミックスも発掘した。
1巻(1978)の紹介は「スペクタクルロマン」。4巻(1983)では「スペクタクル・メルヘン」。
1988年あたりからカバー紹介に「スペクタクル・メルヘン」は入らなくなったけれど、最後まで「ファンタジー」は出て来なかった。『ピグマリオ』は連載開始時には、トールキン的ファンタジーというより「千夜一夜物語」的なフェアリーテール≒メルヘンだったのではという指摘。ふむふむ。
@ailsato ピグマリオは(中断以降や、その画面の迫力はともかく)当初は「むかしむかし」で、精霊たちの祝福を受けた幸福な王子・クルトの物語だったので、フェアリーテール≒メルヘンと銘打たれたのではないでしょうか。「千夜一夜物語」的な位置で。
— のだ@C82土ピ54bさん (@noda_na_noda) 2月 14, 2012
2007年ごろまで「石の机」という山田ミネコ研究のすんごいサイトがあったんですけど、閉鎖されちゃったんですよね。
ミネコ作品は単行本に情報がなくて初出探すの大変なのに全部載ってる。
インターネットアーカイブにあったので、URL載せときます。
昔のアドレスは、は、http://mypage.odn.ne.jp/home/dolmen 。
今はWeb Archiveでしか見られない。【dolmen's Website】
紫色のインデックスの部分に何も表示されてなかったら、横スクロールバーを押すと情報が出てくる。
なんで山田ミネコのことをつぶやいているかというと『アフメット王国物語』のコミックス(1987)のあとがきで作者が「いや、ファンタジーというのもなかなかよいですねー。今迄あんまり描いたことがなかったので」とあって、ちょっとびっくりしたからで。
山田ミネコ的には、世界設定を作るところから始めるのが「ファンタジー」(つまりRPGというかトールキン的なやつね)らしい。ハルマゲドンシリーズがSFなのはともかく、時々描いていた幽霊の出てくるような短編は山田ミネコ的には何だったんだ? ホラー?
『アフメット王国物語』のシリーズ最初の作品「魔法唐草」の初出は、山田ミネコ研究サイト「石の机」によると、SF.アニメディアVol.1(1985)のようだ。
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母の三回忌でした。我々夫婦だけの参加でひっそりと。三回忌って2年目の命日だったのですね。3年目だと思っていたので、ちょっと焦ったり。
花があったので、車で。途中混んでいたのでちょっと心配でしたが、時間通りにお寺に着くことができました。
帰りに実家に寄って、、実家行っていろいろ片付けて、ゴミと一緒に車で午前三時に自宅に帰ってきました。
ちょっと錆びた卓上用カセットガスボンベとかもあったり。
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有里 (Alisato Akemi)