更新日: 2005/12/19
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【エル・ヒラソル】
ブックオフ伊勢崎上泉店に行く途中で寄ったイタリアン・レストラン。田んぼの真中にあって、とりあえずパスタが食べられりゃいいやと思って入ったら、意外にも本格的なイタリアンを食べさせる店で感激。東京のヘタな店よりも断然美味しい。値段もすばらしくリーズナブル。
デザートのキャラメルスフレがとても美味でした。
もっと近ければ、何度でも食べに行くのになぁ。
埼玉からだと、上武道路を三ツ木で降りて左折して国道354を伊勢崎/境町に走っていって、木島三叉路を右へ入ると、右手にあります。
どうか次に行くときも健在でありますように!
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ブックオフで現物調査したところでは、1988年12月の『キマイラ狂仏変』までは緑背、1989年12月の『キマイラ独覚変』からは白背なので、白背に変わったのは、その間だろうと思います。
多分1989年1月の菅浩江『ゆらぎの森のシエラ』から白背だという気がします。私が持ってたのは白背だったけど、欲しがってた人にあげちゃったから版が確認できません。
追記 2003/10/15:
掲示板でコメントをいただきました。(それも作者ご本人からも!)
初版は緑背だったそうです。
初版 1989年1月30日 緑背
2版 1989年4月20日 白背
つまり、ソノラマ文庫が白背に変わったのは1989年2月〜4月の間ですね。
やっぱりスニーカー文庫の影響でしょうか。
以前メールで、スニーカー文庫のルーツを考えるなら、角川ノベルズも重要なのではないかというご指摘をいただいたので、ブックオフで実物を拾ってきました。
カドカワ・ノベルズの創刊は1981年11月です。
角川春樹による発刊の言葉
一冊の小説は、読者だけの試写会を提供し、読了するまでの間、好みのキャスティングで、自由な映像を楽しませてくれる。
雑誌がヴィジュアルになり、ヴィデオ・ディスクやカセット・ヴィデオの発達、コミック文化の普及によって、近未来は活字離れになろうと予測されてきた。しかし、小説自体が劇画的要素を取り込み、映画やテレヴィ等の映像との連動によって、かえってベストセラーを生む結果となった。活字は映像と競合するのではなく、活字それ自体の娯楽性で競合するのである。
(中略)
角川文庫を創刊して三十年、小社はここに、新たに現代の物語を追求するカドカワ・ノベルズを創刊した。このシリーズによって映像を超える小説集団を公開して行きたい。
ところどころ意味不明ですが、要するにメディアミックスで売れるエンタティメント叢書作るぜっということだろうと思います。
森村誠一、西村京太郎、勝目梓、志茂田景樹といったいかにもノベルズの書き手の中で目を惹くのが栗本薫『魔界水滸伝』です。
カバーと本文イラストは永井豪。おそらく新書ノベルズでは初めての漫画家起用では?
1巻目では、まだカバー絵も本文イラストも、漫画絵にすることにためらいがあるような感じなんですが、2年後の1983年10月刊行の5巻目になると、表紙こそ漫画絵ではありませんが、カラー口絵もついているし本文イラストも漫画絵の線になります。
この1年前の1982年10月刊行の永井豪原作・永井泰宇著『凄ノ王伝説 1』では、カバー袖でわざわざ「カラー口絵8ページ、本文イラスト22葉を挿入」と書いてあり、どうもこの頃から若者向け小説の表紙に漫画絵を使うことが受け入れられ始めた(=売れることが証明された)のではないかという気がします。
『魔界水滸伝』の文庫化は1986年9月から始まります。角川文庫ファンタジーフェアがはじまった直後なんですが、1981年から1986年までの5年間にどんな作品がどのレーベルで出ていたのかが気になります。
内田 樹『子どもは判ってくれない 』(洋泉社 ,2003.10,\1500+税, ISBN4-89691-759-6)読了。
「教養喪失と江口寿史現象」で、目からウロコ(とゆーか脳からカサブタというか)が、ごっそり落ちた。
サラリーマン一年生のハラくんが、道場からの帰り道にいきなり「先生、どうしてぼくたちの世代の人間って、こんなに教養がないんでしょう?」と尋ねてきた。
(中略)
「それは君たちの世代が、ほかの世代に対して閉じているからだよ」
(p.32)
「教養」の深浅は、自分の「立ち位置」を知るときに、どれくらい「大きな地図帳」を想像できるかによって計測される。
(p.42)
しかしある世代以降の人間は、「自らの位置を知るために、もっぱら同学齢集団を参照し」ているがゆえに、自分たちに「教養が不足」していることすら認識できない。と、内田先生は、いうんですね。で、その現象が起こってきたのは江口寿史の登場以降であると。
漫画家の側が「同時代性」を基準にとって、読者を「選択」し、自分の「目配せ」を理解しない読者を(礼儀正しく)「排除」した点において、江口寿史はおそらく本邦最初の人である。
(p.36)
自らの位置を知るために、もっぱら同学齢集団を参照し、年齢が上下に離れている人々は「競争」の対象として意識されない傾向。私はこれを「江口寿史現象」(勝手に名前を借りてすまない)とつけることにする。そしてこの傾向が一九八〇年代以降、ぐいぐいとドライブをかけて若い世代全体に広がっているという印象を抱くのである。
(p.37)
ちなみに【林哲矢】さん作の【SF/ホラー/ファンタジー漫画家生年表・暫定版】によれば、江口寿史は1956年生まれ。
『すすめパイレーツ』の単行本第1巻の発行は1979年。
「閉じてる」という感覚は、とてもよくわかります。
私は閉じ始めた世代の人間なんですが、下の世代を見ると、同学齢集団の中でもさらに分割されているような感じがします。
で、その分割されて閉じた状態の行きつく先がいわゆる「萌え」なんだなーという気が。
購入ガイド
ISBN4-89691-759-6 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(02365444)】
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札幌で墨絵アニメーション作家・【横須賀令子】さんの個展と上映会があります。
「墨絵アニメーション 横須賀令子展」
◆原画展示 10月16日(木)〜21日(水)無料
◆アニメ上映 10月19日(日)800円(当日料金のみ)
1回目-開場13:00 上映13:15〜14:00
2回目-開場15:00 上映15:15〜16:00
◆場所---札幌市中央区南2条西1丁目7-8山口中央ビル 6階 アートスペース201
【縁側.jp-ダウンロード】から、新作のQuickTimeムービーがダウンロードできます。
うちのQuickTimeはバージョン古くて再生できませんでした。かなしい。
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【プリンセスチュチュ公式サイト】
【animate.tv:Webアニメシアター:プリンセスチュチュ】
【プリンセス・チュチュで使われている音楽】
【Webアニメシアター:プリンセスチュチュ】での第26話(最終話)の公開は明日なのですが、データはすでにアップロードされているという情報を得たので、フライング視聴。
……
「この物語をハッピーエンドにしよう」
うわぁーん。感涙〜。
そのままえぐえぐ泣きながらアマゾンに直行して、2巻目と3巻目の初回限定DVDを買い物カゴに放りこんで確定ボタンを押しちゃいました。
やっぱりこれは『少女革命ウテナ』メルヘン改訂版だと思いました。王子様じゃだめだ、やっぱりお姫様だ……ということですね。『ウテナ』で立つ瀬がなかった男の子たちの敗者復活戦でもあるかな。『ウテナ』で出来なかったことを成し遂げたと思いますが、でもそのために主人公が女の子ではなく鳥のアヒルでなければならなかったというのが、切ないです。
でも仕方ない。今の女の子は、女の子のままでは愛されることも愛することも幸せになることもできないと思いこんでいるんだもの。絶望は深い。るうのように。
今の時代は、救い手が人間の形をしていては、物語がもたないのだなと思いました。だから、楽俊はネズミで登場するし、ぶたぶたはぬいぐるみだし、ウフコックだって金色ネズミだし、あひるは鳥のアヒルなのですね。
……
最終話を見てから、データがアップロードされている14話からまとめて視聴。ちょっとくらくらしてます。
ネコ先生もいいけど、やっぱ、ふぁきあ萌えかなぁ。ちびるうちゃんにも萌え萌えだ。
DVD情報は、10/9付け日記参照。
それにしてもamazonでチュチュのDVDを買おうとすると『ぷちぷり*ユーシィ』をもの凄い勢いでオススメされちゃうのは、なぜだ?
ソノラマ文庫は、カバー絵がリニューアルされたものも何冊かあるようです。
メールで情報をいただいたのですが、1982年9月刊行の菊地秀行『魔界都市〈新宿〉』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】のカバーイラストは、佐藤道明→恩田向之に代わったそうです。
(【菊地作品リスト:十六夜京也版 魔界都市 新宿 データ】参照)
1988年7月の『魔宮バビロン 魔界都市〈新宿〉』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】のカバーイラストは、初版から恩田向之です。
『魔界都市〈新宿〉』は1988年のアニメ化されていますから、そのからみでカバーが変わったのかもしれません。
1984年8月発行の笹本祐一『妖精作戦』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】は、1994年10月に新装版【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】が出ていますが、【笹本祐一作品資料館:妖精作戦】によれば、旧版にも若菜等→平野俊弘にカバーが変更されたようです。変更時期は不明。ただ、NHK FMの青春アドベンチャーロードでラジオドラマ化されたのが1989年2月で、1989年7月には平野俊弘のカバー絵によるカセットが発売されたそうなので、その頃に変更されたような気がします。
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しつこく『プリンセスチュチュ』について考えているのですが。
『プリンセスチュチュ』に対して既視感というか懐かしさを覚えるのは、何故なんだろうとずっと考えていたのですが、どうやらオープニングの曲「Morning Grace」や岸田今日子のナレーションが、カルピス劇場を思い起こさせるかららしい。特に『アンデルセン物語』と初代『ムーミン』ですね。主人公があひるですもの、アンデルセンが関係してくるのは当然か。
で、実は『アンデルセン物語』は、1971年のカルピス劇場のもの(参考:【アンデルセン物語の部屋】)のほかに、東映アニメの『アンデルセン物語』【amazon】というのもあるんですね。私の記憶のなかでは、この二つがごっちゃになってましたが、『チュチュ』のラストから考えると東映アニメも関係しているような。
【雑誌の住人:電撃の雑誌11年史】
メディアワークスから発行された雑誌のほぼ全ての歴史をまとめた同人誌だそうです。「角川お家騒動」のことも載っているそうなので、通販を申し込もうと思っています。
「角川お家騒動」ってどういうことだったのかを知りたかったので、ありがたいです。
【土踏まず日記 2003.10.16】経由。
【雑誌の住人】は面白そうなので過去日記も読んでみます。
私には「宮台真司」と「宮崎哲弥」の区別がつかないようです。ブルセラ評論家が宮台か? 「東浩紀」の守備力の解説文には大笑い。
「ガールズ漫画は還らない」が面白かったです。女性は続編新作ではなく、復刊した旧作を読み返しているんだと思います。
私はといえば、ある時期(1995年ぐらい?)から新作を受け付けなくなってしまって、ほとんど漫画雑誌を読まなくなってしまいました。
久美沙織『丘の家のミッキー』(1984.09,集英社文庫 コバルト・シリーズ)読了。
めるへんめーかーの挿絵による旧版のほうを読んでみました。実は氷室冴子『クララ白書』は愛読してたけど、なぜかこれは読んでなかったのです。
(『デュエット』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】は好きでした)
すごく面白いです。こんなにメッセージ性のある話だったとは。まさしくジュニア小説です。ライトノベルじゃなくて。主人公はちゃんと悩んで考える。
それにしても書かれてから20年経っても面白いというのは、凄いことだ。
ツルさん(先生です)のお説教が好きですね。
「あのな、浅葉。森戸南は華雅学園じゃないんだぜ」
「え?」
「おまえが理解できないことがあるからって、それを全部おかしい、って言っちまうのはちと、こころが狭いんじゃねえかい」
あたしは思わず、お茶を飲んでしまった。
「あたしはそんな!!」
「おまえ、自分にわかんない話をされるのがいやなんだろう」
「………」
(p.248)
久美沙織の小説は、思春期の少年少女の視点で描かれたものが一番面白いと思います。たとえば、『ドラゴンファーム』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】シリーズや『ここは魔法少年育成センター』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】。主人公の年齢がそれより上がると、どうもアクが強くなって読むのが辛い。
続きは新装版で読んでみます。どんな風にイメージが変わるのでしょうか。
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・久美 沙織『丘の家のミッキー 1』(新装版)
(集英社 コバルト文庫1 お嬢さまはつらいよの巻 ,2001.6,\562+税, ISBN4-08-614871-4)
ISBN4-08-614871-4 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(02033380)】
植松 黎『毒草を食べてみた』(文芸春秋 文春新書 099 ,2000.4,\690+税, ISBN4-16-660099-0)読了
毒草についてのコラム集。タイトルを見て、毒草を食べまくって七転八倒九死に一生の体験をした話なのかと思いましたら、著者本人の体験記はあまりなくて(それでもいくつかは試しています)、うっかり毒草を食べて大変なことになった他の人たちの事件の記述が主でした。
ジキタリスやトリカブト、クラーレノキなど、犯罪や推理小説でおなじみの植物だけでなく、スズランやキョウチクトウ、スイートピーやスイセン、アイリス、ポインセチアなど、身近な園芸種ですら毒草だったというのには、びっくり。
スズランとキョウチクトウの毒性は新聞やTVで見たことがあるので知っていましたが、アレルギーのある人はフサザキスイセンの匂いをかいだだけでも皮膚炎を起こすというのは知りませんでした。気をつけなくては。
知識を得るだけでなく、読み物としても大変面白いのでおすすめです。
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ISBN4-16-660099-0 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(00017063)】
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『プリンセスチュチュ 2』DVDが届いた。
本当は1巻目から見たいんだけど、初回限定版がamazonに入荷していなかったので、とりあえず2巻目から見ることに。
城壁に囲まれた、どこにでもあるようでいて、しかし猫やワニが普通に言葉を話してもいる、どこか変な街、金冠町。そこにある由緒正しい芸術学校、金冠学園でバレエを習っている女の子「あひる」。憧れている先輩の「みゅうと」がいるが、いつも寂しそうな彼にはなかなか近づけない。ある日、「あひる」は不思議な老人にペンダントを授けられ、伝説のプリンセスチュチュに変身するのだが……。
というのが1巻のあらすじ。で、2巻目はというと、
「あひる」はプリンセスチュチュになる運命を受け入れ、「みゅうと」の心のカケラを見つけ出すことを心に決める。だが、見つけた心のカケラを戻すと「みゅうと」は突然苦しみ出す。自分のしたことが「みゅうと」を苦しめていると知り、ショックで鳥に戻ってしまう「あひる」。悩んだ末に、チュチュとなる事を止める決心をし、ペンダントを投げ捨てるが……。
といった感じ。
「みゅうと」を縛り付けるような言動をしていた「ふぁきあ」の隠れた一面が現れ、「るう」はプリンセス・クレールとして覚醒する。「みゅうと」はというと、まだボケーとしていて弱々しい。
個人的には「戦士の泉」の微笑むふぁきあに萌え萌えざんす。
第6話〜第9話収録
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【[雑誌の住人]】の過去ログを漁っていて再発見。こういうウェブマガジンがあるのは知っていましたが、あまり興味がなかったのでスルーしてました。改めてバックナンバーを眺めてみたら、オタク年表がらみで結構面白い記事がありました。
【少女マンガの伝道師 週刊プレイボーイ(前編)】
【少女マンガの伝道師 週刊プレイボーイ(後編)】
【藤本由香里インタビュー「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(前半)】
【藤本由香里インタビュー「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(後半) 】
【青少年のための少女マンガ入門-バックナンバー】
【少女マンガ入門(よしながふみ)】
【少女マンガ入門(岡崎京子)】
特に興味深かったのは、以下のあたり。
は: その点でいうと、少女マンガ入門のよしながふみさんの回がおもしろくて、そういうドラマツルギーの世界からやおいが日常へと回帰するというか着地してまったりしていく過程を追ったもので、それがバブル崩壊後の90年代に始まるって話なんですけど。
相: 似たようなことはギャルゲーにもいえて、ただ日常だけがあればよいというものになっていった。たとえば『To Heart』というギャルゲーがブレイクしたのも、物語との連関じゃなくて日常的なエピソードだけでそもそもストーリーが作れるんじゃないかという結果なんですよ。
【藤本由香里インタビュー p.3】
【作家の仕事術-KADOKAWA MYSTERY EXPRESS】
これも【[雑誌の住人]】の過去ログ経由。こんなのあったんだーというようなインタビュー集。
1999年11月〜2003年4月まで、38人のインタビューが掲載されています。
【作家の仕事術-大塚英志】
【作家の仕事術-恩田陸】
【作家の仕事術-京極夏彦】
興味をひかれた個所。
閉鎖型のマーケットをつくって。角川歴彦さんの思想はそうだったわけですよ――知ってる奴が買えばいいということ。お兄さんの春樹さんは、百人お客がいた時に、千人とか一万人に知らしめた上で百人に買わせるけど、歴彦さんは百人が買うんだったら百人だけ知ってればいいじゃん、っていう発想なんですよ。僕はそっちの方が楽しい、――要するに経済性が高いし、それから自分のつくるものと合ってるというのがあったんで、一貫して同じノウハウです。だから「サイコ」は絶対オープンにしない。
【作家の仕事術-大塚英志】
書籍代を集計してみたら、今月は既に一万円予算オーバーしてます。でもまた本を買ってしまうのだった。
『丘の上のミッキー』新装版を買いに行ったのに、みつからなかったよー。
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メールで情報をいただきました。
定金伸治『ジハード 1』(集英社 集英社文庫,2003年9月,590円+税)【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 の乙一の「連載解説」のイラストとライトノベルの関係の話が面白いとのことなので、探してみます。(2巻目はあったんですけど、1巻目が見つからないのです)
乙一は、『小説TRIPPER 2003年夏季号』の「特集 なぜ、いまファンタジー?」にも「わたしにとってのファンタジー」というテーマで「ファンタジー=デザイン?」という一文を寄せていて、これもなかなか興味深かったです。
1978年生まれの人間にとってのファンタジーってのは、やっぱり「世界観」という言葉でくくられてしまうものなのね。
そういえば『ダ・ヴィンチ 2002年7月号』の「特集 あの名作ファンタジーをもう一度!」に掲載されていた乙一のアンケートの「心に残る一冊の書名」は、〈ソード・ワールドRPGリプレイ集〉だったんですよね。でもって、「心に残るフレーズ」が「スネア」(ソード・ワールドに出てくる呪文。土の精霊を使って敵をすっころばす技)で。
あれ以来乙一を見る目が変わった人もいたはず。(Stellaさんだっけ?)
ピーター・S・ビーグルもタニス・リーも知らない(ように見える)状態で「ファンタジーは死んだか?」と語っちゃうあたりが、内田樹がいうところの「江口寿史現象」なのだな。
そういう人間が語るべきは「ぼくらのファンタジーは死んだか?」じゃないのかと思ったら、【過去完了形としてのライトノベルの「ファンタジー」】は、その視点で語っていて面白かった。
執筆者のサイトを見たら【ライトノベルを考えてみる(1)】を書いた【apolune】の人だった。なるほど。
べつに『ロードス』『スレイヤーズ』にリアルタイムで衝撃を受けたかどうか、が問題なのではなくて、『スレイヤーズ』とそれ以前のファンタジーに根本的な差違を認めることができるか、が問題なのだと思います。それ以前のファンタジーの技法と、スレイヤーズ的な「ファンタジー」の技法に、違いがあることを当然のこととして認められるか。
オレより下の年代って言うのは、その二者の差違を全然認めないんじゃないかと考えたりなんかして。で、後輩に二者の差違を訊くと「その差違って単に世界観の違いじゃないんですか?」とばっさり切り捨てられたりしたわけです。
じゃあ、先輩方はどう考えてるんだろうと、自分は不思議に思ってるんです。もしかしたら、先輩方はその二者に、世界観では埋められない断絶を感じるんじゃないかと。かくいう自分もそう思ってるワケなんですが。
【apolune 2003/10/15[雑記]『ファンタジーは死んだか?』に思うこと】
「世界観」という言葉を使うのを禁止したほうがよくはないかと、思ったりする。便利な言葉があると、深く考えずにそれを使って済ませちゃうところあるから。(たとえば「思考停止」なんて言葉が最たるもの。私は「思考停止」という言葉を使う人間こそ思考が停止していると思う)
「世界観の違い」といわれたら、「「世界観」の意味がよくわかんないから、他の言葉で言い換えて」といってみるとか。
「ファンタジーは死んだか?」なんて鼎談もあって「おー」とか思うわけですが、
ここで鼎談してる20代後半から30代の、ほんのすこし上の世代の人が、「ファンタ『ジ』ー」と「ファンタ『シ』ー」は違うものだ。 というような言い方で、まったく同じような議論。 ありていにいえば「浸透と拡散」の話をしていたよな。 ということを思い出しました。
「それ」はいつでもどこでも起こっているんだけど、それを認識、直面する面子が常に違う、のかな。
どこかでそれを図式化してた人がいたような気がするけど。 思いだせない。
【土踏まず日記 2003/10/17】
「ソラリスの陽のもとに新しいことはないのである。」じゃなくて?
自分の生まれる前に何が起こっているかを覚えている人なんていないので、それを覚えている年寄りは、ちゃんと覚書を残しておくべきだよなと思いました。
大雑把な地図でも迷っている人の役には立つし、やる気のある人間なら宝島に辿りついたりするかもしれないし。
やぱりファンタジー年表を作らないといかんのか。
【White Castle】2003/10/16付けの日記で、[特別対談:夢枕獏×氷室冴子 ヤングアダルト小説の現在・過去・未来]の私のコメントへのツッコミをいただいてます。
とのこと。
「ボーイズラブ小説」は「恋愛小説」であるといわれて、目からウロコが。
それに気がつかなかったという事実が結構ショック。
で、メールで白城さんと「ボーイズラブというのは、ティーンズノベル系少女小説の延長線上にあるのでしょうか?」というようなお話をしてます。
脳が刺激されて、とっても楽しいんですが、まとめきれないのでしばしお待ちを。
※宮部みゆきは「L文学」なんじゃないかと思います。>白城さん
自分への宿題:以下の項目の関係を図式化せよ
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有里 (Alisato Akemi)