更新日: 2005/12/19
2003年 [
01| 02| 03| 04| 05| 06| 07| 08| 09| 10| 11| 12]
1997年〜1999年・2000年・2001年・2002年
2003年9月 ( 上旬 / 中旬 / 下旬 )[前月] [次月] | |||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 月 | 火 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
[Top]
FF9のにハマり中。FFってシナリオはつまんないけど、アイテム集めは楽しいのね。そういう点ではネットゲーム向けなのか。
プレイ日記は[FF9ぶつぶつ日記]。そのうちサルベージしてどっかに保管しておくかも。
上橋 菜穂子『神の守り人 来訪編』『神の守り人 帰還編』読了。
タンダとともに草市を訪れたバルサは、人買いに連れられた兄妹チキサとアスラに出会う。アスラは美しい少女であったが、全身に〈災い〉の気配をだだよわせていた。
事情のわからぬままアスラを助けたバルサだが、少女は「災いの子」としてその命を狙われていた……。
『精霊の守り人』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】によく似た状況ながら、決定的に違うのは、アスラ自身には自覚はないけれど、彼女の中の存在は既にひとつの災いを引き起こしていることです。アスラの命を狙うものたちの言い分も決して間違いではない。
――おのれがもたらす死に罪の意識がなければ、あの娘は、かならず、また人を殺す。……うばわれるかもしれぬ人の命を、おまえは思いやらぬのか?(p.200)
けれどアスラにおさないころの自分を重ねるバルサは、そのように割りきることはできない。
「いずれ災いの種になるから、殺したほうがいい、か。――そういう理屈は、いやというほど知っているよ。」(p.88)
アスラの力を利用して新しい世界を作ろうとする者たちの言い分にも、いくばくかの理はある。
この物語には、ある種の権力を志向する者はいても、私利私欲のために動いている人間はほとんどいない。みな、それぞれの正義のために動いている。だからこそ、やっかいなのだけれど。
バルサと敵対することになる「ゲームの天才」のシハナという女性が面白い。
『虚空の旅人』[→感想] のサンガル王家の女性たちもそうだが、こういう権謀術数に長けた怜悧な女性を描けるのが上橋菜穂子らしい。フェミニズム的な主張ぬきで、あっさり女子供中心の物語を作り上げてしまうんだな。
私は、シハナを嫌いじゃないです。どちらかといえば「なってみたい女性」かも。
タンダやバルサのような人間が、シハナはきらいだった。
なにもわかっていないくせに、目先の情だけでつっ走る人間。善意で行動しているつもりなのだろうと思うと、腹の底から嫌悪感がこみあげてくる。(p.141)
こういう気分も理解できるし。
購入ガイド
・上橋 菜穂子作/二木 真希子絵『神の守り人 来訪編』
(偕成社 偕成社ワンダーランド 28 ,2003.2,\1500+税, ISBN4-03-540280-X)
ISBN4-03-540280-X 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(02259643)】
・上橋 菜穂子作/二木 真希子絵『神の守り人 帰還編』
(偕成社 偕成社ワンダーランド 29 ,2003.2,\1500+税, ISBN4-03-540290-7)
ISBN4-03-540290-7 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(02259642)】
ヒルダ・ルイス作/石井 桃子訳『とぶ船 』(岩波書店 ,1987,\2800+税, ISBN4-00-110822-4)読了。
ピーター、シーラ、ハンフリー、サンディの四人兄妹の長男のピーターが歯医者の帰りにみつけた不思議なお店で買ったおもちゃのバイキング船は、実は魔法の船でした。
エジプトや北欧の神々の世界、ノルマン時代のイギリスと子供たちをさまざまな場所へ連れていきます。
公開講座「現代ファンタジー入門」第1回で取り上げられていた本。
読んだことがあると思ってたんですが、よく考えたら引用部分を他の本でみたことがあるだけだったらしいことに気づいて図書館で借りてきました。
子供たちがあちこちに行って冒険するというのは、割とよくあるパターンの話なんですが、この本が何十年にも渡って愛されつづけているのは、ノルマンの少女マチルダのエピソードが際立って優れているからじゃないかと思います。
マチルダはノルマン時代のイギリスの領主の娘です。魔法の船に乗ってノルマン時代に行った子供達の危機を救い、二度目には魔法の船で子どもたちの時代のイギリスへとやってくるのです。
四人兄妹とほとんど変らない年齢であっても、過酷なノルマンの時代に生きるマチルダは大人です。
おしゃべりするピーターたちにはさまれて、マチルダはだまって歩いていきました。これは、その子どもたちの世界です、その子どもたちのほんとの世界です。マチルダのではありません。つめたい石の城と、きびしい戦い、苦しい生活と勇気、それが、マチルダの世界です。(p.292)
そうして彼女は自分の時代で生きていくことを選択するのです。
マチルダと子どもたちとの別れのシーンや、成長したピーターが船を手放すシーンは、大人になってから読んだほうが切ないでしょうね。
『ナルニア国ものがたり』の仕切り屋の長男のイメージが頭にあったので、長男のピーターが一番の夢想家で最後まで魔法を信じつづけていたというのが意外でした。
購入ガイド
ISBN4-00-110822-4 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(00524970)】
[Top]
公開講座「現代ファンタジー入門」の第2回に出席するため、横浜へ。
何年ぶりかで横浜駅東口方面に行った。ポルタ地下街にパスタ屋小路みたいなのが出来ていてびっくりした。私が横浜に住んでいたころとは全然違う。
だいたいスカイビルっていつリニューアルされたのだ? 丸井が東口に移ったのっていつ?(平成8年らしい。自分が行かないところのことはさっぱり分からない)
そごうの中にLoftがあったのにも驚いた。なるほど、そごうと西武が統合するというのは、こういうことなのか。
リビング用品の階でブラシ製作の実演販売をしているところに出っくわし、メイクブラシが欲しかったところなので、ふらふらと寄ってしまう。
実演販売をしているのは、【平野ブラシ】という店らしい。
山羊毛のパウダーブラシを買った。うっとりするような肌触り。チークブラシも買えばよかった。ついでに豚毛の網戸ブラシとパソコン用埃払いブラシも買った。もてあましていたデパート商品券も使えて、よかったよかった。
【公開講座「現代ファンタジー入門】
井辻朱美氏を講師に横浜朝日カルチャーセンターで行われた公開講座の2回目。
詳細は[Aliログ:公開講座「現代ファンタジー入門」]にまとめました。
荒俣 宏『ヨーロッパホラー&ファンタジー・ガイド 魔女と妖精の旅』(講談社 講談社+α文庫 ,2002.9,\800+税, ISBN4-06-256662-1)読了。
] 公開講座「現代ファンタジー入門」第1回でのおすすめ本。
荒俣宏によるホラー&ファンタジーネタの旅行記。ハリポタブームのおかげで、類似企画の本やTV番組がいくつかありましたが、やっぱり知識の深さ、話の面白さで荒俣先生に勝るガイドはいませんね。しかし、講談社+α文庫で出てたとは盲点でした。私もおすすめします。
郵便夫シュヴァルの〈理想宮〉が取り上げられていて、写真も多く掲載されているのが嬉しい。
〈劇場庭園〉と呼ばれる〈パラヴィツィーニ庭園〉のことは初めて知ったが、これは面白そうだ。この本の中で一番いってみたい場所だった。
自動人形を扱った第5章の最後に、以下のような記述があったのが興味深い。なるほど、荒俣先生はコンピュータをオートマタの延長線上にあるものとして捉えていたのか。
しかし、ポオとほぼ同時代に、やはり自動人形をみて「チェスをできるほど精巧な思考機械」をほんとうに製作できると信じる少年が、イギリスに出現したことを、たぶんポオは知らなかったろう。その少年の名は、バベッジといった。のちに、アナリティカル・エンジン、ディファレンス・エンジンと呼ばれるふたつの思考機械――すなわちコンピュータの原型をつくりあげる数学者である。(p.124)
購入ガイド
ISBN4-06-256662-1 【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】 【bk1(02224080)】
[Top]
スパムメールブロックの設定のせいなのか、メール転送システムのせいなのかは不明ですが、届かないメールがあるようです。(メールフォームからのお問い合わせで判明)
@niftyのスパムメールブロックがちょっと挙動不審なんですよ。設定をすり抜けて届くスパムがあるので、逆になにかが弾かれているのかも。
お返事の必要なメールの返事がないようでしたら、掲示板あたりで「届きました?」と聞いてください。たいていのメールには、お返事していますので、日記にも記述がなかったら、スパムにまぎれてしまった可能性あり。
【ND2 - nDiary format to html converter -】
nDiaryのフォーマットで記述されたテキストを html に変換するコンバータ。
私はnDiary以外使えない身体になりつつあるので、ありがたいです。フィルタを使えるのが嬉しい。
[Top]
涼しくなったせいか、掃除洗濯がしたくなり、枯れかけてきた庭のハーブをひっぺがし、家中の網戸を先日購入した網戸ブラシで擦ってまわり、レースのカーテンも洗濯した。すっきり、さっぱり、気持ちいい。
豚毛の網戸ブラシは柄が木製なので持ちやすく丈夫だし、豚毛なので力を入れて擦っても網を傷める心配もない。内側から擦ると網から砂煙が立つので、扇風機で外に風を送りながら掃除した。なんとなく網戸ごしに見る景色がはっきりしたような気がする。
で、掃除が終わってから、またゲーム。すみません、サイト更新する気分にならないので、しばらくダラダラモードかも。
[Top]
夫の実家では、12日からずーっと午前中は稲刈り関連作業をやっていまして(丸一日やると疲れるので、半日づつ作業する)、今日も夫が有給休暇とって作業を手伝いました。
私は、熱中症にならないようにと飲み物や冷えたおしぼりを差し入れる係。要するにほとんど役立たず。
午後からは食事と買い物のついでにブックオフによって、資料用のスニーカー文庫を何冊か仕入れました。とりあえず、角川文庫版『ロードス島戦記1』とスニーカー文庫版『ロードス島戦記1』をゲット。
とりこさんからメールいただきまして(えーと返信とどいてますでしょうか?)、スニーカー文庫(と、その前身の角川文庫)のカバーをスキャンすると面白い資料になりそうだという話になったので、やってみようかと思っています。
『Final Fantasy X-2』も購入しました。ちょっとやってみたけど、「三馬鹿娘のおしゃれな冒険」というか「チャーリーズ・エンジェル」FF版といった感じ。前作の『Final Fantasy X』をやっていなくてもオッケーだとは聞いてますが、世界観がわからないのは辛いかなーといった印象。「まあ、前の冒険で行った場所は2年後にはこんな風に!」といった驚きがないのは、つまらない気もしますね。
やっぱり『Final Fantasy X』を先にやるべきかなぁ……。
……一条ゆかり、大矢ちき、内田善美といった、かつての『りぼん』の執筆勢のペンタッチを思わせる華麗で緻密な絵柄なので、イマドキの漫画の軽い絵がダメだという人でも大丈夫だと思います。内容は、デザイナー学院に通う若者達の青春グラフティ。男になんか甘えない、でも甘えたいという微妙な女心も描きだされて、大人にもおすすめ。
矢沢あいは、若いお嬢さんには人気の漫画家のようですが、24年組を読んでいたようなマニアな読者の視野にはあまり入ってこない気がします。でも『下弦の月』【bk1(01850123)】は、内田善美ファン必読。
[Top]
[Top]
素晴らしい。【うたたねこや】経由。
各年代に対する要約がうまいなぁ。
1979-1987「ヤングアダルト――SFとファンタジィを、若者に。」
1988-1996「ゲームとアニメの存在、自分たちのために。」
1997-2003「脱ヤングアダルト。ライトノベル、萌えのために。」
1996年以降が「ライトノベル」の時代という認識なんですね。1996年って何があったけ? 清涼院流水のデビュー?
1995年は大変な年でしたが、それが原因でなにかが変ったんだろうか? うーん……。(大塚英志がなんか言っているけど、思いつきと思い込みが多い人のように思えるので、話半分に聞いておく。)
【読売ADリポートojo 2003.9:特集 食卓は語る <食DRIVE>調査がとらえた現実】
【Books by 麻弥〜News Collector 〜】経由で発見。
岩村 暢子『変わる家族変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識 』(勁草書房 ,2003.4,\1800+税, ISBN4-326-65278-0)【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】の内容を紹介。食に関するアンケートから食卓の変遷だけでなく、アンケートの対象(1960年以降生まれの主婦)のものごとに対する考え方や姿勢も浮かび上がってくるというレポートで、非常に示唆に富んでいます。
などなど思い当たるフシは多々あり。
現代は、「飽食の時代」などではなく、衣食住遊の中の「食」の相対的下落時代、あるいは、食べることなんかどうでもいいという「食」軽視の時代だと著者は指摘する。
【Web ojo 2003.9 特集 食卓は語る:食を軽視する時代】
私の周囲には割と食べることに貪欲な人が多い(ネットでもこの人とかこの人とか)ので、あまり気がつかなかったけど、世間一般ではそうなのかも。
そういった点では、先日読んだ【土踏まず日記 2003.09.15】の「俺「『おいしい』というのはこういうことなのか」ってのを把握したのがここ2,3年なんだよな。」というのが興味深かったです。
赤木かん子が以前どこかで書いていた、「美味しいものを食べる幸せ」というものが分からない人たちが増えているという話を思い出したりして。
これは俺の周りにいるおいしいもの好きの人々に感謝。 あなた方がものを食べるとき、そんなにも幸せそうにしてなかったら俺はそれに気づかなかった。 ありがとうございます。
【土踏まず日記 2003.09.15】
この一文は、私が以前から気になっている鷲田清一『悲鳴をあげる身体』【bk1/amazon/boople/Yahoo!】【blogmap】の次の文章につながるものなのかもね。
食べ物は口にふくむ。口のなかで、つまり身体の内部で、じっくり味わう。だから他人のそれはおぼろげにしかわからない。他人が舌や喉で感じているその味わいは想像力をはたらかせないとなかなか共有できない。だから「おいしい?」と不安げに訊く。おいしそうにしている、とは分かっても、その味覚のニュアンスは一人ひとりが身体の内部でじっくり味わうものなので、傍からはなかなか分からないものなのだ。
他人への思いや感情への想像力は、このようにともに食べるなかで育まれてゆく。他人の思いへの思い、それはこういう食事の席で養われるのだ。(p.60)
[Top]
[Home] [日記目次] [当ページ雛形(nDiary用)・ 原稿]
有里 (Alisato Akemi)