更新日: 2011/05/23
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実家に泊まって、片付けなど。
昼に家人が車でやってきたので、二人で病院へ行って父を見舞う。
もう体力的に限界なので、車で埼玉に帰る。
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体力的に限界だったので、埼玉に戻ってきて、午後にでもまた病院にいくつもりだったのですが、朝7時に病院から心臓が止まりそうだという電話がかかってきました。
でも埼玉からだと病院に辿り着くまでに3時間(ついでにいうと実家からでも40分)かかるので、「間に合いませんから、処置よろしくお願いします」と連絡して、最速でいける直通電車を探して支度しました。
電車の時間までに、葬儀社とお寺に連絡。連絡先は事前に準備してありました。
葬儀社は母の時と同じところ。葬儀をお願いしたい旨伝えましたら、父の名前だの私の連絡先だの病院の名前だのを尋ねられました。私が病院に着いてから再度連絡すれば、車を手配しますとのことでした。
お寺さんも当然ですが母のときと同じ。浄土真宗です。葬儀の日取りや時間は決める前に連絡してねと言われていたので、さっさと連絡。予定はあいてるけれど、15日(水曜日)は友引だから、浄土真宗的にはお通夜は無理で、葬儀(告別式)はできるから、あとは葬儀社と火葬場の予定をきいてね、と言われました。
叔父(父の弟)に電話したのですが留守だったので、叔母(父の妹)に連絡しました。
支度に手間取ってる家人を残して家を出て、列車のグリーン車へ。
家人のほうは義父の車で送ってもらって、なんとか列車の飛び乗ったそうで、車中で合流できました。
病院についたのは11時近く。父の臨終は8時だったようです。
父のいた病室は4人部屋でしたが、さすがに臨終の時には空いていた別の病室に移されていました。死亡診断書を見せられて、病院の霊安室へ。
葬儀社に連絡して、伯母(母の姉)にも連絡を入れました。
葬儀社からは、どこの葬祭場の霊安室に送るか尋ねられたので、母のときと同じ場所でお願いしました。経験済みなので、楽っちゃ楽。
霊柩車が到着して、父は葬儀場へ。私たちもタクシーで葬儀社へ。
葬儀社の人との打ち合わせ。どれくらいの人数の葬式をいつやるかを決めます。
父は生前、直葬(火葬場でお経あげてもらうだけ)でいいんだとか言ってましたが、いくらなんでもそれはないだろうということで、お通夜+葬儀(告別式)の家族葬にしました。参列者は私と夫と父の兄弟と母の兄姉だけです。近所の人も甥姪も子供の配偶者の家族も呼びません。
夫の両親や弟妹は田舎の人なので、義理堅く参列しなきゃといっていたようですが、「故人の遺志ですから」と遠慮していただきました。実際、あまり顔も知らないような近所の人や甥姪が葬儀に来ることに対して、父はものすごく批判的(他人の葬儀であっても!)でしたので。
葬儀の日取りを決めるときには既に12日の午後1時を過ぎてまして、すぐに遺影用の写真の準備ができないと翌日(13日)に通夜をするのは無理ということで、14日通夜、15日葬儀ということに。15日は友引なので火葬場は基本的にお休みなのですが、一箇所開いているところがあって、なんとか9時からの予約が取れました。
お寺さんに日取りの連絡を入れ、以後の細かいことは葬儀社の人がFAX等してくれることになりました。
日取りが決まったので、葬儀仕様を決めます。
2月の母の葬儀が互助会基本セット+オプションでしたので、同じようなものに。決めるのは、祭壇、お棺、写真枠、骨壷、花の仕様です。少人数でもお花は多いほうがいいよということでしたので、20基お願いしました。オプションで文具セットなどもあるんですけど、前回買ったのがあるので、それはなし。少人数で親戚だけなので、受付もなし。
あとは食事と返礼品と会葬礼状について決めました。
通夜の晩に会場に泊まれますので、その手続きもしました。母のときも泊まりましたが、一人3500円で並のビジネスホテルより設備がいいくらい。ただし、朝食はつかないので、持ち込む必要があります。
翌13日は午後から湯灌と納棺の儀があるので、遺影用の写真と棺に入れたいものをもってくるようにと言われました。
ということで、だいたいの葬儀の仕様を決めて、葬儀日時を母方の伯母と父方の叔父に連絡して親戚に回してもらうことにして、その日は埼玉に帰りました。
おまけ
・普段から、葬儀社、お寺、親戚の連絡先は控えておくこと。
・遺影用になりそうな写真も用意しておくこと。
・重篤な状態で入院が決まったなら、ゆうびんホームページから郵便物の転送手続きをしちゃったほうがいいです。死亡した人の郵便物の転送手続きはできませんが、入院ならて転送の十分な理由になります。
ちなみ葬儀社は「葬儀の板橋」です。神奈川県を中心にやってるところです。お料理も割とおいしい。
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午後1時から湯灌の儀があるので、10時ごろ夫と家を出て、横浜のルミネのトップス&ザクソンでカレーを食べようと思ったら、なんてことだルミネが改装されててカレー屋が存在しない。(後で調べたら、5月に閉店してたのねー) ショックを受けながら、洋食屋でオムライスとポークソテーを食べる。自分で作っても同じくらいにはできるよ、って味だった。がっかり。
湯灌の儀と納棺。亡くなった人をシャンプーしてもらって、お棺に納めるのです。
母のときはやりませんでした。入院が長すぎて、湯灌に耐えられる状態じゃなかったからです。
父と一緒に棺に納めるものを思いつかず、何もないのが好きな人だったから、何もなしでいいんじゃないということに。囲碁が好きな人だったけど、碁石も碁盤も燃えないし。ああ、でも囲碁の本か数独の本でも入れてあげればよかったのかも。
遺影用の写真は、携帯を買ったときに撮った写真にしました。私のバリ島土産のシャツを着て、部屋の中で撮ったもの。背景は消して青いグラデを入れてもらいました。
画素数が少ないんで拡大するとボケますが、他に全然写真がなかったのです。私の結婚式のときの写真ぐらいしか見つからなくて。それだと10年以上前ですからねぇ。一応拡大用の処理を入れて、ギザギザにならないようにはしました。
近くで見るとボケてるけど、遠くで見ればそれなりだったので、まあ、よかったんじゃないかと思います。
通夜ふるまいの席に参加する人数や祭壇に飾る花の数を確認して、その日はおわり。
お坊さんに渡すお布施と車代用の袋ももらったので、お布施用のお金を下ろしておきました。
埼玉に戻って、一応喪主なので、挨拶の文面をネットで検索してでっちあげたりとか。
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通夜の日。喪服を着てお泊り準備品を持って葬儀場へ。泊まりの準備もあるので、荷物が重かった。
返礼品の数とか、通夜ぶるまいの食べ物飲み物の確認をしたり。
やってきた親戚に挨拶。本当に身内だけなので、気楽。
御坊さんにご挨拶。母の葬儀のときにも会っているので気楽。お寺の副住職で、声のでかいざっくばらんなお人柄のお坊さんです。浄土真宗はリベラルな宗派なのですが、この人はそれに輪をかけてリベラル。
式は要所要所で葬儀社の人が教えてくれるので、こちらはそれに従って動いていればよろしいのです。
式の後、お坊さんは先に帰られるというので、お弁当と車代とお布施をむにゃむにゃといいながら差し出しました。正しい口上とかあるんですけど、すっかり頭から飛んでしまいましたわ。
通夜ぶるまいも身内だけなので和やかに。
参加できなかった親戚からの香典もありましたので、その方たちへの返礼品は配送することにしました。葬儀社の人にいえば、ちゃんと手配してくれるのでした。
私と夫は式場内の控え室に泊まり。
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葬儀は翌朝9時から。参列者の皆様には朝早くから申し訳なく……。平日だったので、通勤ラッシュとぶつかることにあとで気が付きました。でもまあ、仕方ない。
火葬場で待っている間に、お墓の管理をどうするかとかお坊さんとご相談。
お墓は父が管理してまして、子供は私ひとりなので、どうしましょうねーという話。
父の3回忌ぐらいをめどに永代供養墓に移すという方法もあるんですが、ややこしいことに同じ墓に伯父と叔父と従兄弟たちも入ってまして、要するに例外的に墓石一個で2軒分の骨が入っているので、ちょっと面倒くさいのです。
結局叔母と従姉妹と私とで話をまとめてから、お寺さんと交渉することになりました。
父の遺産のいくらかは、お寺さん用費用として確保しとかないといかんですね。
葬儀場へ戻って、初七日の読経をしてもらって、精進落しの会席。
今度はお坊さんもいらっしゃいましたけど、愉快な方なので、まあ、和やかに。
副住職はリベラルすぎて叔母には評判悪いんですけど、私は割と好きですの。
その後、葬儀場から遺骨と遺影と位牌とお泊りグッズと花束をかかえてタクシーで実家に帰って、仮の後飾り祭壇作って、お線香あげて、コンビニのおでんを食べました。
私は一晩実家に泊まることにして、夫だけ埼玉へ。
やることがないから実家の片付けをしました。もう文句いう人いないからね、思う存分片付けちゃうもんね。
最初にやったのは、父のボロ服をゴミ袋に突っ込むことでした。まともな服は老人ホームにもっていってしまったので、残っているのは古いのだけなのです。
仏壇の周りも片付け。浄土真宗は位牌を飾らず、ご本尊を飾るそうなんですが、なぜかうちはご本尊がなくて、位牌だけが3つあります。お寺さんに相談とかせずに、適当にやってたようです。うーん。これからどうしたもんですかね。
母方の伯母が送ってくれたと思しき薬師寺の般若心経の写経セットもあるし。いや、それ、宗派違うし! てゆーか母方は神道のはずなんですが。……まあいいです。どうせ未宗教、葬式のときだけ仏教徒。
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10時に起きだして、もそもそと食事をして、だらだら片付けをしてたら、夫が埼玉から車でやってきました。父の退院手続き(亡くなっていても退院は退院)と入院費の支払いがまだだったので、病院に行きました。
手続きを終えてから、夫が行きたいというのでブックオフへ。
実家近くの手作り弁当屋さんでお弁当を買って食べて(美味しいけど日曜定休なので、なかなか買う機会がない)、遺骨を持って埼玉の自宅へ。
自宅帰還。つかれました。
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夫は会社へ。お疲れ様です。
私は眠りたかったんですが、夫の実家用の返礼品が届くので寝ることもできず、溜まった洗濯物を洗ったり、葬儀後の手続きについてインターネットで調べたり。
遺産相続のためには、父の生まれた時から死ぬまでの戸籍謄本と私の戸籍謄本・住民票が必要というのが分かりました。
代行業に頼むと1通2万とか掛かるので、自分でやることにします。父の結婚後の本籍地は東京ですが、生まれたときの本籍地は祖父のところで長野です。郵送取り寄せですね。ああ、面倒。余ってもいいから12通ぐらい取っておきますかね。
(追記:10通取りましたが、取り過ぎでした。ほとんどの銀行や不動産登記関係は謄本をコピーしてから原本を返却してくれます。返してくれなかったのは、年金と生命保険関係だけ。3〜5通あれば十分なはず)
うっかり銀行に通知すると口座が凍結されて、引き落としができなくなるので、銀行関係の手続きは最後に。
普通は口座の凍結はされないはずですが、何があるかわからないので、とりあえず電気・ガス・水道・NTTの支払い請求先を私に変更せねばなりません。
電気はホームページからの依頼で完了、ガスも電話で手続き完了。
水道はサイトを見る限りではちょっと面倒くさそうなので、保留。でもライフライン系は割と簡単に手続きできそうな気がするんだけど。
NTTも名義変更は面倒くさそうなので、保留。あとで116で確認することに。
このへんまでやったところで、荷物が届き、力尽きたので昼寝。起きたらほとんど夜7時でした。
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ホームセンターに買い物。
その後、老人ホームに荷物を引き取りに行かなきゃねという話になり、年末は道が混むから、夜出発しようということに。
仮眠とってたら、結局出発は深夜の1時になってしまいましたですが。
午前3時に実家に着いて、布団敷いてとりあえず寝ました。
電気はインターネットで、ガスは電話で料金請求先の変更届け完了。
どちらも顧客番号が必要になります。使用量のお知らせなどを手元に置いておくこと。
水道も、横浜水道局のカスタマーサポートに電話したところ、料金請求先の変更は簡単にできました。大変感じのよい応対でした。
さてNTT。116に電話して名義変更の手続きについて尋ねたところ、要領を得ませんの。すげーーーー感じ悪い。さすがNTT。
神奈川の部署に電話を回されて、請求先変更は割と簡単にできるけど、名義変更はいろいろ書類が必要といわれました。
とりあえず請求先変更のための用紙と名義変更手続きの用紙を送ってもらうことに。
でもきっと、名義変更手続きの用紙って、ネットにあるPDFファイルと同じだと思うんだ。あれが分かりにくいから電話したのに。
厚生年金の支払い停止の手続き。止め忘れると返せって言われますからにゃ。
年金の支払通知を見ながら、ねんきんダイヤルに電話しました。
10、11月分は既に支払われているので、12月分は請求手続きをしてくれと言われました。
ただし、故人と同一の住所に住んでない遺族は、住民票の除票やらの他に、ちゃんと面倒みてたという第三者の証言が必要なんだそうで。……めんどくせー。
これは老人ホームの人に一筆書いていただくことに。
父には厚生年金の他に退職年金というものももらってまして、やたらリッチだったのは、これのせいらしい。
支払い通知に記載された銀行の部署に電話したところ、銀行ではなく退職した会社に連絡してくれといわれ、電話番号を教えられました。
で、銀行のおねえさんがいうには「幕張経由で中国の大連に繋がりますから」。
思わず「へっ?」って返事してしまいました。「大丈夫です、日本語通じますから」っていわれました。
父が退職したのは、外資系コンピュータ会社でございます。さすがグローバル企業というべきでしょうか……。
教えられた番号に電話したら、中国訛りの日本語を話す女性が出ました。死亡診断書を幕張にFAXしてくれと言われましたので、私の住所と名前も一緒にFAXしました。
私の本名の漢字を電話で伝えるのは日本語ネイティブ相手ですら苦労するので、中国の人相手じゃたぶん無理。
なんかの書類を送ってくれるそうです。
まとめ
電気、ガス、水道は、使用量のお知らせなどに書いてある顧客番号が分かれば、電話やインターネットで割と簡単に請求先変更の手続きができます。
ただし、請求書払いではなくて、銀行引き落としやクレジット払いにするためには、別途書類を書いて送らねばなりませんが。
NTTも116に電話すれば、手続き用の書類を送ってもらえます。
加入権のからみで名義変更の手続きは面倒なので、名義そのままで請求先変更だけして、必要がなくなったら電話を止めちゃうのが一番簡単そう。
厚生年金の支払い停止の手続きは、ねんきんダイヤルの電話すればできます。
ただし、故人の基礎年金番号や個人情報を聞かれます。
送付先を伝えると未払い分請求のための書類が送られてくるので、必要書類を揃えて、あとで請求することになります。
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実家から老人ホームへ。実は前日の18日はホームの入居者関係者を招いてのクリスマス会でして、ケアマネさんや営業さんはその対応で疲れたらしくてお休みでした。
感じのいいベテランヘルパーさんたちもお休みで、どうやら19日はあんまりお客には見せられない態度の人がシフトに残された模様。まあ、もうどうでもいいことですけど。
荷物は全部引き取りましたが、服などは実家に残し、TVとTV台だけ埼玉にもってきました。
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葬儀社から葬儀の請求書が来たので、銀行に支払いにいきました。ほんとにこじんまりした家族葬でしたが、お布施とかは別で、160万円ぐらい。
葬儀そのものは100万ぐらい。このへんは人数関係なし。
あとは火葬場までのハイヤーとバス代とか飲食費とか返礼品とか。
お布施と雑費を加えて200万ぐらいですかね。
銀行ではそれとは別に貸し金庫のICカードの手続きなどもしました。
父の入院と同時に、父の名義の貸し金庫の中身を出してきたので、それを保管するために借りました。いまとなっては必要があるのかないのか微妙なところですが、とりあえず父名義のキャシュカードを預けておきました。
駅にある住民サービスセンターで、私の戸籍謄本/抄本と住民票をとりました。
父の除籍謄本や戸籍謄本をとるのに、私が娘であることを証明するのに必要だし、その他の相続手続きにも必要なので、10部づつ。
(追記:10通は多すぎでした。3〜5通で十分です)
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有里 (Alisato Akemi)