更新日: 2017/04/03
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少女小説系チェックは、を終わらせたので(これをやらないと、ティーンズルビー文庫に入れない)1999年創刊のティーンズルビー文庫とウィングス文庫に手を付けられる状態なのだけど、その前に少年系やノベルズをどうしようか考え中。
カドカワノベルズとトクマ・ノベルズをざっと集めた。細かいチェックはまだ。全部を公開するかどうかは考え中。ラノベ系の人だけのリストにするか。
ファンタジーの杜のDBから電撃文庫のデータを取得整形中。川原礫以外読んでないので、ISBNの桁数が増えた2007年以降は切り捨て。
平井和正、栗本薫、夢枕獏、菊地秀行、田中芳樹はノベルズ初版の本を出しているから、結局ノベルズも掘ることになるのだ。レーベル内での位置づけを知りたいとなると、全部レーベル全部を漁らねばならん……。カッパ・ノベルスはリストがあったし、講談社ノベルズも非売品だけど全点目録があるそうな。
カドカワノベルズとNONノベルは巻末に載ってる創刊の言葉などから創刊時期がわかるけど、トクマノベルズの創刊時期がよくわからん。データは一応1974年からあるみたいだけど。
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電撃文庫のリストを整形しつつ、ブギーポップシリーズを最初に読んだときの日記を読み返してみたり。1998年の11月だから『ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』のネットや書評での評価が出揃った時期。大きい本屋に探しにいったんだけどレーベルをソノラマ文庫だと思い込んでいた。
1998年ごろはソノラマ文庫大賞がまだあって、ソノラマ文庫はそれなりに元気で、電撃文庫はまだ主婦の友社の発売でノベライズと海外物翻訳が混ざったカオスなラインナップのマイナーレーベルだった……ような気がする。ネットの書評サイトなどで、目立ってきたのは1999年以降かな。
「ライトノベル」という言葉がパソコン通信のニフティサーブの外でも使われるようになったのと、電撃文庫の台頭はほぼ同時期……といえるかも。
関連はないと思う。ただ、同時期なだけ。
「ライトノベル」という名称は、もともとはパソコン通信のニフティサーブのSFとファンタジーの話題を扱うFSFというフォーラムの中でのみ使われていた「方言」なんですよ。ミステリーの話題を扱うフォーラムではそういう呼び方はしていなかったはず。
大手パソコン通信には、ニフティサーブの他にPC-VANやAsahiネット(だっけ?)などなどもあって、そこでもSFやファンタジーの話はされていたけれど、ソノラマ文庫などなどを「ライトノベル」とは呼んでいなかった……はず。
大森 望/豊崎 由美『文学賞メッタ斬り!』のROUND8で大森望さんが「そもそもライトノベルって言葉は、ニフティ方言」(単行本のp.213)といってます。
「ライトノベル」って言葉は1990年ごろからあったのに、なんで2000年ごろまで広まらなかったの?、って疑問を持っている人をみかけたけれど、有料のパソコン通信の一部のグループ内でしか通用しない「方言」だったからというのがその理由。インターネットになってから、「方言」が広まった。
@SagamiNoriaki @ailsato 現時点で確認している雑誌媒体での一番早い使用例は、1992年の「RPGマガジン」に掲載された山北篤氏のコラムです。新聞ですと1994年の「読売新聞」に掲載された大原まり子氏のコラムですね(http://t.co/Xbw527ka)。
— サンチュー (@tomo_int) 2012年10月13日
1994年に「ライトノベル」という語を使用していた大原まり子さんはニフティ育ちですね。『ネットワーカーへの道』を読むと、大原さんをニフティに引きずり込んだのは風見潤さんと三月布由子=妹尾ゆふ子さんだったようです。
ニフティサーブのSFフォーラムはプロの作家やライターが多かったし長く残っていたせいか言及されることが多いけど、PC-VANとかはほとんど話題にならないですね。日経mix(mixiに非ず)なんて「廃人」と呼ばれる人たちもいたのに、あの人たちは何処へ? Facebook?
ニフティサーブがインターネット接続サービスを始めたのは1996年。まだあまりメジャーではなく、会員はパソコン通信にとどまり続けた。私がインターネットに接続したのは1997年3月だけど、ニフティで繋げようとしてうまくいかず、市内にアクセスポイントのあったBIGLOBEを利用。
まだインターネットに接続していなかった1997年2月の私がどこにいたのかというと、@niftyのシレンパティオだ。(mixiのコミュニティみたいなもんを想像してください。会員制サイト内にある管理人のいる掲示板) 風来のシレンファンが集まる掲示板。
1997年7月に「NIFTY SERVE インターウェイ」が提供されたり、12月に「ホームページ開設サービス」が開始されたりして、このあたりでニフティからどっとインターネットに人が流れでてきた感じ。大原まり子さんはすごく早くに「ホームページ」を開いていたはず。
大原まり子さんのサイト開設って、1995年6月22日かぁ。
【大原まり子の『アクアプラネット』】
1998年の自分の日記を読み返しつつ、この頃には2chもAmazonもGoogleも存在しなかったことを思い出すなど。Books or.jpはあったけど、絶版になった本の情報は載ってないから古い本の書誌情報を探すのは、すごくすごくすごく大変だったのも思い出した。
「2ちゃんねる」すらまだなかった。
Wikipediaの「2ちゃんねるの歴史」によると「2ちゃんねるは、1999年5月30日にひろゆき(西村博之)を名乗るネットユーザーの個人サイトとして開設された。」だそうです。匿名掲示板として「あめぞう」があったので、もっと前からあった気がしますが、1999年だったのか……。
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歯医者で歯の検診とクリーニング終わり。いつもどおり。加齢で歯茎が下がってきてるから、歯を磨くときはあんまりゴシゴシやらないようにね、時間掛けて磨くんだよと念を押された。
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川原 礫『ソードアート・オンライン プログレッシブ 1』
(アスキー・メディアワークス 電撃文庫 ,2012.10.10,745円, ISBN978-404886977-5)
4048869779
海羽 超史郎『STEINS;GATE‐シュタインズ・ゲート‐ 比翼連理のアンダーリン 2』
(富士見ドラゴンブック ,2012-04-20,756円, ISBN978-482914667-5)
4829146672
海羽 超史郎『STEINS;GATE‐シュタインズ・ゲート‐ 比翼連理のアンダーリ 3』
(富士見ドラゴンブック ,2012-08-18,756円, ISBN978-482914684-2)
4829146842
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昨日整体で身体をほぐしてもらったはずなのに、寒さのせいかすぐゴチゴチに。頭も重いし。気圧よりも気温差が堪える。
今日は、田植え機、コンバイン、乾燥機その他の稲作用農機具を業者にまとめて引き取ってもらった。無料。トラックで3往復とか結構な手間だと思うけど、海外に売ればそれでもペイするのかな。
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できたものは放出。
[電撃文庫 作家別刊行チャート 期間1(1993-2006年)]
やってることは猪鹿亭の表とほぼ同じですが。
【電撃文庫グループ別年間刊行点数(猪鹿亭)】
電撃文庫に動きがあったのは1997年(電撃G's文庫創刊)、2003年(電撃hp、「ライトノベル25年史」発表)、2006年(GA文庫、HD文庫創刊)ぐらいかな。
ブギーポップは1998年ですが、1997年の編集部の方針変更みたいなのがなければ、受賞しなかった……かも?
「ブギーポップは、ファンタジア長編大賞で最終選考で落とされています。 」 という話があるので、ギャルゲノベライズ専門の電撃G's文庫の創刊というのはなんか関係あるかもですね。「これからは学園モノが来る!」と思ったとかなんとか。
いや、1997年〜1998年ごろの富士見ファンタジア文庫の傾向がどうだったかってのは、まだ調べてないんですけどw
んー、ブギーポップが出たのが1998年2月だから、受賞したのは1997年か。
選評ってどっかに掲載されたんですかね。富士見ファンタジアで最終まで行ったのは1996年か1997年前半? こっちは『ドラゴンマガジン』探せばでてくる?
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有里 (Alisato Akemi)