原稿No.199901-01
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この間から作成中の山田ミネコ作品リスト暫定版をNIFTYの山田ミネコ会議室にアップする。どこにもデータがない(ファンクラブにはあるのかもしれないけど)から、自分で作るしかないのね。
漫画家の作品リストを作っていて、一番欲しいのは、雑誌の目次データです。 『プチフラワー』は、創刊17年記念で、総目次の連載をやってくれて、とってもありがたかったです。あれを電子化してくれるともっとありがたいんだけど。(創刊号から何年分かのデータは、WWW上にあったはず。)
『グレープフルーツ』『LaLa』あたりも、目次データがあればいいのになぁと思いますね。(マニアの多い24年組が載っていた雑誌データっていうのは、需要が多い)誰かやってくれないだろうか……。
どこかで、有料でいいから、いろんな雑誌に載った資料(総目次とか年間出版データとかですね)をダウンロードできるサイトを作ってくれないだろうか。どうせ今は、入稿データって電子化されてるんでしょ? そのまんま圧縮しておいて、1ダウンロードごとに500円とかできないもんでしょうか。(1年分で500円でも10年分で5千円。ちょっと痛い。でも図書館いってコピーしまくるよりは安いかも。検索も楽だし。)タダなら、もっといいけどねぇ。
【GRAPE FISH】に『グレープフルーツ』の総目次(労作!)が掲載されるようになった。
結局個人のオタクパワーが一番役に立つのである。
(2003.01.10)
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LaLa総目次(1976年創刊号〜1996年)
URL:http://www.st.rim.or.jp/~wasihasi/
プチフラワー総目次(1980年創刊号〜1985年38号)
URL:http://www.nerimadors.or.jp/~jiro/comics/shogaku/pf.html
花とゆめ総目次(1987年〜1994年)
URL:http://www.nerimadors.or.jp/~jiro/comics/hakusen/hana.html
グレープフルーツ総目次(創刊〜終刊)
URL:http://www.mnet.ne.jp/~miopapa/
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朝日新聞のミニ時評に「『サイバー』書評」つまりWWW上の書評についての記事が載っていた。何を今さら偉そうにという内容だった。
最近「書評」ってなんの為にあるんだろうねぇ、ということを考えはじめて、どうやら以下のような目的のためにあるらしいと思うようになった。
(1)本の存在を知る
(2)本が私にとって面白いか否かを知る
(3)本の「読み方」を知る
(4)自分の読み方が他の人とどう違うか、あるいは同じかを知る
で、一番重要なのは、(2)なんですが、これのためには評者の傾向と対策がわかっていないと意味がないんですよね。どんな傑作だろうが、私に合わなきゃそれはつまんない本なの。というわけで、面白そうな本をさがすなら新聞の書評欄より個人のホームページの方が向いているということになります。だって、たいていの書評ページには、評者が面白かった本が並んでいて、評者がどういうキャラクターの人なのか判るもの。
評者がベスト10あるいはベスト5をあげる『このミス』形式の書評誌が売れているのは、読者がそれぞれ自分と似た傾向のお気に入りの評者を探すことが出来るからなんじゃないかと思う。(私は大津波悦子さんと赤木かん子さんがお気に入りです。)
私のようなシロートの書いた読書日記でも、(1)の役には立つだろうから、せめて書名と出版社名ぐらいは正確に記述しようと思う今日このごろ。
(3)の目からウロコの「読み方」を示唆する書評としての最近のヒットは、【大森望さんの1998年1月13日の日記】の中の森博嗣『夏のレプリカ』についての以下の一文ですね。
森博嗣のミステリィにつきまとう違和感は、たぶん本書が典型的に示すように、オブジェクトレベルのトリックより、メタレベルのトリックに焦点があるからじゃないかって気がする。
これ読んで以来、森博嗣を読むときの腰がぴたっと決まるようになったというか、安心して森ミステリを読めるようになって、大変嬉しい。やっぱりプロの書評家だったら、これぐらいやってくれないと。
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出版社の目録に絶版本が載っていないのは仕方がないことなんだけど、どこかにデータがなくちゃ、探す事すらできないんですよ。書店や出版社が、絶版本のデータを扱うのは難しいし、日本の図書館は、はっきりいって役に立たない。対象が漫画であればなおのこと。
ってことで、ファンサイトの著作一覧ってのは、重要なんです。ホームページ持っている人は、自分の持っているいろんな作家の本の不完全なリストなんかより、一人の作家に絞った全作品リストの方がずーっと他人の役に立つんだから、そういうの載せて欲しいです。
いい加減なリストだと黙殺されるだけだけど、ある程度の情報量があるリストなら、不足分は誰かが補完してくれます。(経験者は語る。)
自分の持っている本をリストアップするっていうなら、作者、書名、出版社(と叢書名。○○文庫とか××ノベルスとか)という最低限の書誌情報ぐらいちゃんと載せてね。ハードカバーの場合は、出版年もあるとベター。ISBNが載ってると、もっといい。
それに手持ちの本なら感想の1行や2行は、欲しいと思う。
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【大森望さんのSFページ】の掲示板で、電子本の話題が盛り上がって(???)いるようで。
電子本は書評用の献本が難しい……らしい。ふうん。
ハイパーリンクで視点が変えられる小説ってのは、ようするにチュンソフトの『街』ですね。
電子本用のハードは、個人的にはポケットゲームボーイで、電子本が読めるようになるといいなぁと思ってます。軽さもサイズもちょうどいい。十時キーの左右でページめくり、上下で章の先頭末尾へジャンプ、selectボタンで栞。ほーら、操作性も悪くない。(笑)やっぱりね、ゲームボーイくらいの価格と安っぽさにならないと一般人には手が出ないです。それから、ビデオ・ウォークマンでしたっけ、専用のゴーグルをかけてビデオを見るやつ、あれが目に負担がかからないというのなら、場所とらなくていいのではと思います。
現在の価格は電子本の高いですね。【パピルス】なんかだと、文庫本一冊分が700円ぐらいだもの。手間暇かかってもブック・オフで探した方が安上がり。
どうせなら、小説より雑誌コラムの連載をまとめて電子本にしてほしいと思います。時事ネタが多かったりすると、紙の本にするときは内容が古びていることが多いんですが、電子本にすると検索が簡単なので、資料的価値も上がるし。『SFマガジン』のバックナンバーを読んで、連載コラムの続きが気になる私としては、ぜひぜひ実現して欲しいです。大森望さんの原稿閲覧コーナーはその点すごく便利。無料だし。
電子本の単価が安くなって、普及したとしても、紙の本はなくならないと思います。読み捨てる本は電子本で読んでも、どうしてもとっておきたい本は紙で所有したい。そういう人のための印刷・製本業というのが出てくるといいと思ってしまいます。プリント・オン・デマンドとかいうやつ。昔は、パンフレット状の「本の中身」を買った人が、自分で装丁をして(というか専門職人に装丁させて)「本」に仕立てたそうですが、そんな感じで。別に革装とか布装といった豪華な装丁じゃなくていいから、文庫サイズの本が自分の好みの装丁で作れればいいなぁと……。
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URLの変った【Das Wunderreich der Nacht】の「活字の海を渡ろう」によれば、OKKOさんはブギーポップシリーズにイマイチ乗り切れなかったらしい。「エヴァンゲリオンに共鳴するものがあった人はこの作品の世界に素直に入れるのかもしれません」とのことで、うーん、本の感想っていうのはやっぱり個人のツボに左右されるものなんだねぇと思いましたです。梨木香歩『西の魔女が死んだ』(小学館)に対する【ニム】さんの感想を読んだときにも思いましたが。
「ツボ」ってのは、それぞれのカラダとココロの弱ったところに反応して現れるものなので、ある人にとっては押されると極楽な場所でも、他の人にとってはぜーんぜん何にも感じなかったりするのですね。ヘタに押すと痛いだけだったりして。
私の場合、エヴァもウテナも梨木香歩もブキーポップもツボはまりまくりでしたが、あれだけ多くの人が絶賛するピーター・S.ビーグルが、さーっぱりわからないんですね。物語にもノれないし。やっぱりツボが違うんでしょう。宮部みゆきやオースン・スコット・カードは、なまじ上手い分「針」みたいなもので、ツボを外すと激痛がはしる――んでしょう。
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【大森望さんのページ】の伝言板に「キャラ萌えってなんですか?」って質問があって、誰かが返答するのを楽しみにしてたんですが、電子本の話題の盛り上がりで、答えがつく前に流れちゃったみたい。仕方がないので、自分で考えましたです。
ワタクシ的な「キャラ萌え」の定義は、「小説、アニメ、マンガ、ゲーム等の登場人物に対する擬似恋愛状態」です。ただ好きというだけでなく「擬似恋愛」だから、裏にはいささかのセクシャルな意味合いも込められています。というわけで「萌え」られるキャラクターは、やおいやエロに登場させられることが多いわけで……。
「萌え」の語源は不明。私も知りたい。通常は「萌え萌え」「○○萌え」(○○にはキャラクターの名前が入る。例:「さくら萌え」「マリア萌え」「紅蘭萌え」)といった使い方をする。私が最初に見かけたのが、NIFTYの『サクラ大戦』だか『FF7』だかの会議室でしたから、もともとはゲーマー用のボキャブラリーだったのかもしれないです。ただし、ワタクシ的には、「キャラ萌え」「○○萌え」は許せても、「萌え萌え」は許せませんが。「○○に萌え萌えでーす。」というような書き込みが4件以上あると、その会議室を読まないようにするぐらい嫌い。
実は、私自身が「キャラ萌え」を使い出したのも、比較的最近。身につかない言葉はみっともないという理由から、流行語は極力使用しないようにしているのですが、水玉蛍之丞画伯が使用しているのを見て、ボキャブラリーにに加えました。キャラクターに熱をあげるあの状態を言い表わすのには、適切な言葉かと思います。
「擬似恋愛」ですからね、好きな相手のことは何でも知りたい……というわけで、キャラクターグッズが売れる、売れる。でもって、好きな相手のことしか目に入らないから、作品全体のことはどうでもいいわけ。ストーリーもテーマもどうでもいい。「萌え」てるキャラさえちゃんと登場すれば。――ということですな。
私が今までで一番「キャラ萌え」したのは『トーマの心臓』でございますね。あれは、私にとってはオスカー(はぁと)を見る為だけにあるマンガ(爆)。だからNiftyの萩尾望都会議室で『トーマ』のテーマを語っている方々を見て、「えっ? そーいう話だったの?」と思った。トーマの存在なんかすっかり忘れてましたわ、私。あとは、蔵馬を見るためだけの『幽遊白書』とか〜、マリアを見るためだけの『サクラ大戦』とか〜。
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近所の本屋は、ほとんどの文庫本(ライトノベルとハヤカワ文庫だけは別)を出版社を区別せずに著者名順で並べている。はっきりいって背表紙の色がごちゃごちゃして美しくない。日本の作家は版元が変ったり複数の版元から本を出していることが多いので、それはそれで便利ではあるのだが、海外文学はやめてほしいもんだと思う。
さて、そんな著者名順の棚を回遊していて、気が付いたことがある。それは、私が、『ソリトンの悪魔』の作者と『隠された十字架』の作者と元国立民族博物館館長を区別できていなかったという事実である。いやぁ、いくら私でも国立民族博物館の元館長が『ソリトンの悪魔』を書いたとは思わんが、『隠された十字架』の作者と元国立民族博物館館長(『知的生産の技術』もこの人か?)が同じ人だっけ?と思ったことがある。でもって、『ソリトンの悪魔』が出たとき、『隠された十字架』の作者がSFを書いたのかと思ったこともある。
著者名別に配架された本の著者名を見てようやく、梅原克文と梅原猛と梅棹忠夫は別人だというのが納得できたである。しかし私の脳は、「梅」の字しか認識しないんでしょうかね。
そういや、皆川博子と篠田節子と坂東真砂子と 笙野頼子もいまいち区別つかんかったし(いまだに篠田節子と笙野頼子を取り間違えることがある)、天藤真と天童荒太も同一人物だと思ってたもんなぁ(「天」の字しか一致しないじゃん)。ほんと困ったもんだ。
(1999.04.14)
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井辻朱美のページと花郁悠紀子のページのレイアウトを変更。一応マメに手をいれているんですけど……。
やっぱり、作品リストをきちんと整備するのはファンの仕事だと思うんですよね。作品をきちんと仕上げるのが作家のお仕事。作品を読者の手にきちんと届けるのは、出版社と編集のお仕事。 優れた作品を見つけ出して他の人や後世に伝えるのが、書評家や評論家のお仕事。 好きな作品を愛をこめて他の人や後世に伝えるのが、ファンのお仕事。
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【ヒラマド】さんが、【1999年7月27日付の日記】で白熱している。いったいどうしちゃったですか? なにか嫌なことでも? と書いたら【とりいそぎ(^_^;】お返事が載りました。別になにかあったわけではないそうです。
誰が見ているかわからない/誰かが不快に思うかもしれないからという理由で、Web上で自分の感想を表現するのを自己規制する必要はないだろう、というのが要旨ですね。
ヒラマドさんのいうことも一理ありますが、私は多少自己規制しております。それでも【OmniStory】のサイト紹介では「辛口」と書かれていました。かなりセーブしているつもりなんだけどなぁ。
自己規制している理由はいくつかあります。
ひとつは、ファン稼業上の理由(笑)。ファンモード対応する作品/作家に対しては、あんまりネガティブな感想は出さないようにしています。万が一それが理由で売れなくなったり、作家本人がショック受けて書けなくなったりされたら、ファンとしての私が困るんで。ヨイショする必要はないけど、作家のやる気を削ぐ必要もないでしょということです。まあ、とんでもなく酷かったら、さっさとファンを降ります。
ファンじゃないときは、批判的な感想も書きますが、それもある程度の節度をもって書くように努力してます。というのは、あるものに対して異常に否定的な態度をとるとき、人は自分の中に抱えた問題をもさらけ出してしまうからです。自分の中身を世界に向けてさらけ出すようなあぶねー真似はできません。(と、いいつつ結構いろいろ貶していないか?)
あと、自分がされていやなことは他人にもなるべくしたくないというのもあります。自分が好きな作品をこき下ろされるのを見るのは誰だって嫌なものだと思います。少なくとも私は好きじゃないです。だから、自分のページ内では批判的な感想を書いても、それを外には持ち出さないようにしています。具体的には、他人様のいる掲示板に書き込んだり、メールや手紙でファンや作者に送り付けたりはしないってことですね。
昔、パソコン通信である掲示板に、とっても好きな作品の感想を書いたところ、その直後にその作品をげっちょんげちょんにけなしやがる発言を書いた奴がいて、非常にひっじょーに不愉快な想いをしたことがあります。その時は大人らしく「そういう意見もありますね」と軽く受け流しましたが、腹んなか煮えくりかえるようでした。どうして、誰かがうれしそうに感想を書き込んでいるところへ、わざわざ水を差すようなことするのかな?その一件以来、私は掲示板で他人の嬉しそうな感想に水を差す人間に対しては水ぶっかけたくなる性格になってしまいました。あ、また昔の怒りがふつふつと……。
……ええと、何の話してましたっけ? そうそう、ネガティブな感想のことでした。
私の日記で一番批判されているのは、有栖川有栖氏と『ぼくは本屋のおやじさん』の著者だと思いますが、先日、熱烈な有栖川有栖ファンの方が5万カウンタをお踏みになられまして、サイトの中身を読む前にその旨のメールをくださったんですね。中身読んでいたら、メールは来なかった気がします。(苦笑)
気の毒なことをしたなぁ……と思いましたですよ。読みたくもないネガティブな感想を読まされたことに関してね。批判的な感想を書いたこと自体は悪いとは思わないんですが。
というわけで、「ファンと作者は読まないようにマーク」の採用を目下考慮中。
髑髏マークなんていいかも。
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「やおい」を「ヤオイ」とカタカナ表記するのは間違いらしい。栗本薫はカタカナ表記なんだけどね。
「まんが」の表記には「まんが」「マンガ」「漫画」(あと石ノ森章太郎がなにかいっていたはずだが……どういう字だっけ?)があるが、私は「マンガ」派である。「まんが」は『コロコロコミック』とか学習まんがとか戦前の作品で、「漫画」は4コマと麻雀漫画で、それ以外はぜんぶ「マンガ」。『マンガ少年』と『漫画少年』は全然違うでしょ。
そういう私の文章の中で、漫画が使われていたら……それは漢字変換が悪いんです。
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「漫画」と「マンガ」と「まんが」の表記について漫研時代の友人からメールをもらいました。その友人は「漫画」派だそうです。「マンガ」だと4コマってイメージがるのだとか。
そのメールには、
そう言えば、池田理代子とか里中満智子って、「劇画家」というらしい。
とも書いてありました。彼女は、「劇画」こそ「おやじまんがのイメージがある」というのですが、それは私も同感。
「劇画」っていったら『ゴルゴ13』ですよねー。『ベルばら』や『オル窓』は劇画なのか? 『アリエスの乙女たち』は?里中満智子は読まないから別にどうでもいいんだが、『ベルばら』は劇画じゃないと思うぞ。私にとっては「少女マンガ」ですね。まあ、レディスコミック誌に掲載された作品なんかは、「劇画」でもいいかもしれないけど。
TVのクイズ番組なんかに出演するときの肩書きは「劇画家」なのかもしれませんね。テレビ屋さんは、「漫画家」「マンガ家」より、「劇画家」の方が格が上だとおもってんでしょう。
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あるオフ会で話をしていて、面白かったのが皆さんの本の読み方についてでした。
たとえば、同じ作家を集中的に読んでいく人と作品単位で読んでいく人。ジャンルを集中して読んでいく人と、いろんなジャンルに手と出す人。どこで本を読むかとか、本のどの部分にこだわりをもつかとか。
私は、同じ作家の作品を集中的に読んでいくタイプです。気に入ったら、それこそデビュー作から最新作まで全部読まないと気が済まない。【ニム】さんや【ヒラマド】さんもそういうタイプだとお見受けします。だいたい作家単位の紹介ページを作っている人はこのタイプですね。【青木みや】さんも作家にハマるタイプらしい。って、青木さんの作成した柴田よしき作品の感想ページの詳しさを見れば一目瞭然ですよねぇ。(笑)
一方、【雪樹】さんや【MZT】さんは、作品単位で読んでいくタイプのようです。一応ハマる作家はいるけれど、全作品を読もうという気は起こらないらしい。
今回集まった中にはひとつのジャンルだけを読む人というのは、ほとんどいなかったんじゃないかと思います。基本的にはSFあるいはミステリあるいはファンタジーが好きだけど、そのジャンルの境界線上にいて各方面に手を伸ばしている人たちなんじゃないかなぁと思うわけで。
【かわかみ】さん、雪樹さんと、【MYSCON】の話をしていたときに話題に出たのですが、ミステリーを読む人はそれこそミステリーしか読まない人が多いらしいです。しかも、海外ミステリーしか読まない人と日本の新本格ミステリしか読まない人とに分かれてしまう。ミステリファンといいつつエラリー・クィーンもアガサ・クリスティもを読んだことがない人がいると。(まあ、クィーン警視のこともマイクロフト・ホームズのことも忘れていたミステリー評論家もいることですし、不思議はないか。)ミステリーは出版点数が多いですから、自分の守備範囲を読むだけでも手いっぱいなのかもしれませんが。
SFやファンタジー読みの人は、ミステリーは読まなくてもホラーとか文学、あるいはノンフィクションを読んでいることが多いのでは? 少なくともこのオフ会に集まった人たちはそんな感じでした。
雪樹さんはもともと海外ミステリーとファンタジー中心に読んでいたのですが、WWWをはじめてからSFにハマったとか。
どういう作品からSFに入ったのかと尋ねてみましたら、
の順に読んで、ハマったのだそうです。SF布教者の皆さん、参考にしてください。
ホーガンは、SFをあまり読まないうちの夫も好きだし、司馬遼太郎なんぞが好きなかつての上司も読んでいましたから、SF入門としては一番いいのかもしれません。
どこで本を読むかという質問に対しては、通勤電車の中という人が多かったです。自転車通勤しているニムさんは、お昼休みにお弁当を食べながら本を読んでいるらしい。溝口さんは、現在、WWWを自粛して読書にいそしんでいるそうです。そりゃま、山のように未読本があるもんねぇ。
私はぐーたらな専業主婦なので、家事が一段落した午後の時間が読書タイムです。コバルト文庫くらいの厚さと内容の本だったら1時間で読み切れます。長編は一気に読み切ってしまいますが、短編集やアンソロジーは、一作品読む毎に休息をいれるので、結果として読むのに時間がかかります。
コミックスは1冊20〜30分で読めます。
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