原稿No.199901-04
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いえね、【ワープ日記】を読んでいたら、そういうネタがあったから、考えてみました。
もともと私は記録をつけるのが好きなのです。でもって、自分のつけた記録を読み返すのも好き。
どんな本を読んだかの記録は中学時代からつけてましてね、そもそもは中学時代、同性の友人たちとお揃いのノートに本やマンガの感想やら詩やら物語やらを書き付けては廻し読みしてたのだけれど、その習慣は高校生になっても続けられ、別々の高校にいったその友人と何ヶ月かに一遍会っては、ノートを交換して黙々と読み、ちょっとだけ感想を述べ合って「じゃね。」と別れるという、よく考えると妙なことをやっていたわけで。ほとんどパソコン抜きのBBS。(笑)
オトナになって、誰かと日記を交換することがなくなっても、やっぱり記録はつけていて、いままではノートだったのが、パソコンのファイルになったということですね。いちいちページを繰らなくても、grepかければ一発だから備忘録として、とっても便利。
わざわざホストにアップする最大の理由は、「ホストに置いとけば、なくならないから」ですね。いえ、アップロードしたデータだって、ふっとぶ時はふっとぶんだけど、自分のマシンにだけ置いておくと、どれが最新なのかわからなくなったり、どっかのフォルダに紛れちゃったりするから、「これは公開しているファイル」って自分に言い聞かせた方がちゃんと管理できる。
あと、「日記に近況を書いた方がメールや掲示板や会議室に書くより楽」ってのがあります。
いちいち複数の人に近況書き送らなくても、「近況は日記読んでね」っていえば、書くの一回で済むし。相手に合わせた書き方しなくても済むし。押し付けがましくないし。手間的にも精神的にも楽だから。
(もっとも、オフライン時代からの友人たち――高校や大学時代から友人たち――には、「時々何いっているのかよくわからない」と不評ですが。)
メールや掲示板や会議室は、一応コミュニケーションの場だから、自分の言いたいことだけ言いっぱなしというわけにはいかない――そうじゃない人もいるみたいだけど、私はそう思っているから、結構気を使いますの。相手の発言に耳を傾けて、それに反応してみたり、相手に合わせた言いまわしを考えたり。でもそーゆーのって、相手が一人や二人ならいいけど、何人もいると疲れるんです。WEB日記は不特定多数への交換日記みたいな面はあるにせよ、基本的には独り言ですからさ。すごく楽。
それにメールや掲示板だとあからさまに相手からの返信を待つようなところがあって、なんかイヤ。日記間でさりげなくコミュニケーションがあればあったで楽しいし、なければないでそれでいい。
本の情報は備忘録としての他に、同じような読書傾向を持つ人への情報提供の意味もあります。私自身、他の人のページを読んで、本の発刊を知ったり、興味をそそられたりすることが多いもので。ほんとは、あらすじまで紹介した方がいいんですけど、あらすじを書くのはアタマ使わなきゃならなくて面倒なのでサボってます。
というわけで、この日記は備忘録と近況報告と交換日記が入り交じった ものになってます。
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注:以下の書き込みは何人かの作家/作家予備軍の方を念頭に置いて書かれたものですが、それが私に直接お声をかけてくださった方々でないことは明記しておきたいと思います。(お声をかけてくださっていない方は……ちょいとばかし脅えてください(笑)。)
このところインターネットを流していて思うのは、WWWに出没する作家や作家予備軍の中にはネットの怖さをいまひとつ理解していない人がいるんじゃないかということです。掲示板でのギャラリーに対する無防備さを見ていると、特に。
ペンネームまたはハンドルの露出度(ユーザーの目に止まる回数)を上げるというのは、宣伝方法としては基本的かつ効果的な方法ですが、やりかたによっては逆効果にもなりかねないということを分かっているのでしょうか? いや、WWWに出没する作家や作家予備軍の人たちがどういうおつもりでご自分の名前を書き込んでいるのかは知りませんが。
作家であれ、一般人であれ、ご自分のホームページに書いている分には、それほど問題はないんです。(問題ある場合も、たまにはありますが。)基本的にページを見たいひと=ファンしか見ていないわけですし、書いている方でもある程度内容を推敲して出している場合が多いですから。
問題は掲示板(BBS)です。筆が滑るというのか、指が滑るというのかは知りませんが、「こんな誰でも見られるところに裏話を暴露していいわけ〜?」「あ〜あ、んなこと書いたら絶対(ギャラリーに)反感もたれるのに」と思うようなことを書き込む方も、ままいらっしゃるようです。相手がいるのでつい勢いがついちゃったってこともあるのかもしれませんが、なんて無防備なんだろうと思ってしまいます。書き込んでいる人数が少ないからと安心しちゃうんでしょうか。
掲示板はね、怖いです。掲示板に書き込んでいる人だけでなく、黙って覗き込んでいる姿の見えないギャラリーをも相手にしなくてはいけないからです。インターネットの掲示板のギャラリーはパソコン通信の会議室/掲示板以上に無責任で流動的ですから、ちょっと噂がたっただけで日に何百人もの人間が覗いていくことだってあります。
反感をもたれていることに気づかずにいい気になって書き込んでいると、どこからともなく現れた(ように見える)見知らぬ誰かから横っ面を張り倒されるような書き込みやメールを食らうこともあります。どこかのサイトに書き込みが引用されて、批判されることだってあります。そのときに「初心者だから」とか「酔っていた」とか「若さゆえ」だとか「ビョーキだから」とか「宇宙人に脅されたからだ」とか言い訳しても手おくれなんです。というか言い訳するのは、みっともないです。いやしくも作家/作家予備軍だというのなら、自分の書いたことに責任を持ってください。(もちろん作家じゃなくたって、自分の書いたことには責任を持つべきなんですが。)書き込みを削除してもだめです。ギャラリーの記憶やブラウザのキャッシュ、場合によってはHDDに書き込みは残ってしまうのです。
でも表立って反発をくらうというのは、まだいいのですよ。反論だって反省だってできますから。一番コワイのは知らぬうちに反感を買っている場合です。一般人の場合は、密かに反感を買っていようとも知らぬが仏ですみますが、うっかりペンネームで書き込んでしまった作家/作家予備軍の場合はそうはいきません。 ギャラリーは表立った反発はしなくても、読者として反発することができるのです。
あいつの作品なんて金輪際読まないとか、作品は面白そうだけど、あいつに印税が入るなんて許せないから新刊書店では買わないとか、たとえ面白くっても絶対にWWWで作品紹介なんかしてやらないなんて反応のしかたもあるわけです。作家の方はインターネットをやっている読者なんてたいした数じゃないだろうなんてタカをくくっているのかもしれませんが、それは作品を口コミで広めてくれる最初の一人であるかもしれないんですよ。
何がギャラリーの好感あるいは反感を買うのかは、わかりません。説教節が受けて読者をふやす作家もいれば、華麗なる闘牛技と人の悪さでファンを増やす作家だっています。
ただこれだけは言えます。作家または作家予備軍の方、ネットで書き込みなさるときはギャラリーの存在を念頭に置いてください。そして、どうかあなたの現在/過去/未来の作品とペンネームを貶めるような真似だけはなさいませぬように……。
もちろん、おやりになりたければおやりになっても構いません。他人が堕ちていくのを見るのもひとつの楽しみではありますし。
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書いたとたんに、また……。いいですけど。どうせここなんか読んでいないだろうし。
なんか、今日はムシの居所が悪いらしく、WWW流していても不愉快なことが多いなり。
作品を読む前に作者のキャラクター(こちらが勝手に書き込みから受けるイメージも含めて)にうんざりした場合どうしたらいいんだろう。私はキョクタンな性格なので、嫌いだと思うともう名前見るのも嫌なのよ。そうなると、作品に罪はなくても、もう手を出す気にはなれない。インターネットでの妙な露出の仕方さえなければ、好きな作家になっていたかもしれないと思うと、なんだか悔しい。
『SFマガジン 1999年10月号』の「今月の執筆者紹介」の唐沢俊一氏のコメントに大きく頷いてしまう今日このごろなのだった。
マスメディアであれば、編集者なりコーディネイトする人なりが気を利かせてくれることもあるけれど、ネットでは自分だけが頼りだからね。諌めてくれるような立場の人がいる場所ならいいけど、うっかり「プロ」がシロトの群れの中に突っ込んで暴走した日にゃ……。う〜。周囲にも迷惑だぜよ。
作家と読者との距離が近いってのも考えものだよな〜と思ってみたり。
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ネットの会議室やBBSに棲むアトモスフィアの魔物。確かに存在はしているのだが、誰もその真の姿を見たものはいない。サイレント・マイノリティとは兄弟で、よく似ているので、区別がつかない。匿名BBSなどに生息の痕跡を残してくのだが、それがマイノリティのものかマジョリティのものかは、やっぱり区別がつかない。
恐ろしいことにサイレント・マジョリティ自身にも、自分がサイレント・マイノリティかサイレント・マジョリティかは、分からないのである。
うっかり発言してしまったサイレント・マジョリティの一部は、声を持った瞬間に「サイレント」はおろか「マジョリティ」ですらなくなってしまうことがある――らしい。おそらく、「それを言っちゃあ、おしまいよ」とか「云わぬが花」といったいかにも日本人的な不文律が関係しているのであろうが。
というわけで、私には自分がどっち側に立っているのか判りません。
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ツッコミもはいったし、私もまだ書きたりないので続けます。
俺的には無条件に「作家が読者と同じ目線で語り合えるインターネット! わーい!」ってはしゃいじゃうのはどーよ? なんです。双方にとってね。まあ野尻さんとこみたいな異常なケース(ほめことば)もあるから一概にはいえませんが。どうっすか>有里さん
【 風虎日記 1999年8月31日(http://www.mars.dti.ne.jp/~rms/kaze37.htm#990831)】
ワタクシ的には、インターネットって「作家が読者と同じ目線で語り合える」んですかねぇ? って、そこから既に疑問だったりするんですが。ましてや、そう思ってはしゃいでいる(一部の)作家と読者に対しては……。
「同じ目線」という点に関しては、周りに囲いがあってある種のローカルルールが通用する分、パソコン通信の方がそういう状態に近いような気はします。もともとパソコン通信には、社会的地位は関係なく誰でも対等という雰囲気があるし、作家の人もわざと別ハンドル使ったりしますね。 NIFTYの会議室(FSUIRIとかFSFとか)の場合、作家がハンドルを使って発言している場合、たとえそれが誰であるかバレバレであったとしても、ペンネームの作家とは別人格として扱うという不文律があるように思うんですが。
インターネットでは作家は作家として登場することが多いですね。自分でホームページを開いたり。そういうところで、作家と読者が対等に語りあうためには、作家の側にも意識が必要だし、読者の側にも意識と実力または実績が必要でしょう。そのバランスがうまく取れていると、作家と作家、作家と読者、読者と読者がいい意味でスリリングでエキサイティングな会話を交わす掲示板(BBS)になるのだと思います。野尻さんのところとか幻想文学掲示板あたりは、アクティブメンバー(若干の例外を除く)のバランスがいいんでしょうね。
読者としての意識というのは、私自身にとっても大問題です。インターネットでの作家との距離の取り方がいまひとつ掴めなくて、悩むんです。思いっきり感想をいいたい自分とファンモードの自分がいて、葛藤があったりして。ファンモードだとネガティブな意見は出しにくくなりますし。
義理で作品を読みたくはない、義理で作品を誉めたくもない。作家に声をかけられて自分まで特別な存在になったと勘違いするようなバカ(←「ワナビー」というんでしたね?)になりたくない。(というより、ギャラリーに「ワナビー」呼ばわりされるのが一番コワイです。小心者だから)
だけど実際に作家と「同じ目線」(?)で相対したときにそういう意識を持ち続けていられる自信もない。
というわけで、私の場合、掲示板(BBS)では、なるべく作家の方とは距離をおくことが多いです。(単に怖じ気づいているだけの気も……)
自分がそうだから、作家がどういう意識でインターネットに登場しているのかが気になるんだと思います。かなり(作家としての)自分の立場を意識している方もいるようですが、なーんにも考えていない方もいるみたいで。
営業活動の一環としてホームページを開いているのなら、ネット歴の浅い人は下手に掲示板(BBS)なんかには手を出さない方が賢明だと思うんですけど。掲示板(BBS)には魔物が棲んでいて、たとえ荒らしや困ったちゃんが発生しなくてもコントロールが効かなくなることだってあります。掲示板が原因で原稿書く暇がなくなったり、精神的ダメージを受けたりしたら、本末転倒って気が……。読者と交流したいのなら、【鈴木輝一郎】さんみたいに公開メール方式が一番面倒が少ないんじゃないのかなぁ。あと仲間内でやばい話をしたいのなら、クローズドな場所ですればいいだろうにと思ったりします。メーリングリストとかね。
まあ、そのへんは他人様のホームページのことですから、私がとやかくいうことではないんですが。
一番問題だと思うのは、シロトの読者の掲示板へ御降臨あそばされる作家の人だったりします。
だいていはファンがいるところを狙って(笑)いらっしゃるから、歓迎されますわなぁ。お客様モードで。で、中にはそのもてなしに気を良くしてずっと居座り、いろいろと御放言あそばされる方もいらっしゃるようで。それで、いらぬトラブル招いたり。客なら客としての礼儀があるだろうに。困るよね、掲示板の管理人も。なまじファンだったりすると強く出られないだろうし。(あまりの歓迎ぶりにすばやく姿をお隠しになってしまわれた山尾悠子さんは、なんて賢明だったのだろうと思ったり。)
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