原稿No.200204-03
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コバルト文庫(集英社文庫コバルトシリーズ)のカバーイラストの変遷について。
1976年創刊時から、萩尾望都、大島弓子、おおやちき、林静一、竹宮恵子などのマンガ家をカバーイラストに起用してはいたが、レーベル全体ではイラストレーターのイラストが多かった。
1984年頃から、久美沙織+めるへんめーかー、藤本ひとみ+谷口亜夢、山浦弘靖+服部あゆみなど、一部の作家がマンガ家とのコラボレーション的なシリーズをはじめるようになる。
1988年からは、おそらくは講談社X文庫ティーンズハートのヒットの影響で、ほとんどの作品の表紙に少女マンガ風イラストが採用される。また、解説目録にイラストレーター名鑑が掲載され、イラストレーターの存在が重要視されるようになる。
1990年には、解説目録がオールカラーとなり、表紙画像ともにイラストレーターの名前も掲載されるようになる。
※表紙画像は、コバルト文庫目録よりスキャンしました。
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1976年創刊時の集英社文庫コバルトシリーズのカバーイラストは、萩尾望都、大島弓子、おおやちき、林静一などのマンガ家も起用してはいるが、少女マンガ的というよりはイラストレーションに近く、本文の挿絵もない。
※おおやちきがカバーイラストを描いた作品は、他に佐伯千秋『青い太陽』があるらしい。
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新井素子のコバルトシリーズでの2作目(1981)の竹宮恵子のカバーイラストは衝撃的だった。表紙に惹かれて新井素子を読み始めた人も多かったのではないかと思う。(そして本文イラストが竹宮恵子でなかったことにがっかりした人も多かったはず)
だが、それを機に他の作家のカバーイラストにもマンガ家を起用しようという動きはなかったようだ。
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久美沙織作品は、デビューから8作目までは新井苑子、峯村良子らイラストレーターによるカバーイラストだが、9作目の『薔薇の冠 銀の庭』からマンガ家を起用するようになる。
氷室冴子がある対談(*『小説花丸』1号 1991/11 「特別対談 夢枕獏×氷室冴子」)で、「昔、久美沙織さんが、小説を書くときにイラストを描くマンガ家も決めて、プロデューサー的にやりたいって言っていたんだけど」と語っており、これは、編集部の意向というより作者の意向であったようだ。
※『ガラスのスニーカー』と『抱いてアンフィニ』のカバーは【久美沙織伝説】でも見ることができる。
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「コバルトの女王」氷室冴子のデビュー作『白い少女たち』の表紙カバーは、イラストではなく写真だった。
藤田和子、渡辺多恵子、森田じみいといったマンガ家を起用することもあったが、どちらかといえばイラストレーションに近い絵だった。
だが少女マンガイラストでヒットを飛ばした講談社X文庫ティーンズハートの影響か、『冬のディーン 夏のナタリー1』(1988)から少女マンガ的なカバーイラストが増えてくる。
ヒット作『なんて素敵にジャパネスク』シリーズも、1999年から後藤星による少女マンガ風イラストの新装版となった。
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イラストレーターのイラストから少女マンガのイラストへの変化がもっとも分かりやすいのが、正本ノン作品のカバーイラストだろう。1983年から久保恵子のイラストで17冊も出ていたのに、1988年になるといきなり少女マンガのイラストに変るのである。
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