国会図書館で調べてきたことのメモ。
8月31日の記述ののつづき。
国会図書館で実物を見てきたのは『小説ジュニア』創刊号(昭和41年春号)〜3号と最終号(昭和57年6月号)、『Cobalt』創刊号(昭和57年夏号)。
『小説ジュニア』創刊号は、B6判、定価120円。表紙はファッションイラスト風。単行本3冊分のボリュームが売りだったらしい。表紙裏はコバルト・ブックスの広告。富島健夫「制服の胸のここには」一挙掲載。氷川ロウ(←字が出ません。ひかわ玲子さんの叔父さんだそうです)の短編(食人植物の話らしい)なども載っていました。
巻末に日本文学全集とか世界文学全集が載っているのが印象的。文学少女が読む本だったんですねぇ。裏表紙の広告は『女性明星』。芸能雑誌だと思いますが、小説も連載されてたみたいです。
コバルト・ブックスの広告の中には松島トモ子『ニューヨークひとりぼっち』というのもあります。タレント本のはしり?
創刊2号には、川上宗薫「かなしみの海」一挙掲載。
『女学生の友』の広告が載っていたりします。コバルトシリーズに入っている三木澄子「禁じられた手紙」、川上宗薫「オリーブは夢みる」の名前がありますから、これらの作品の初出は『女学生の友』のようですね。
コバルトシリーズの初出はわかりにくいのですが、後述の昭和57年6月号掲載のエッセイによると、富島健夫「おさな妻」「湖は慕っている」「心に王冠を」などの初出は『ジュニア文芸』だそうです。
創刊3号からは、月刊誌化。『女性明星』が廃刊になって、連載されていた平岩弓枝「アキとマキの愛の交換日記」他連載2本がが移ってきます。
「アキとマキの愛の交換日記」は映画化もされて人気だったらしい。で、この小説の読者が心中事件をおこしたとかで、編集長と作者が遺族にお悔やみに行ったことなどが編集後記に書かれています。
この頃は『小説ジュニア』を読んでいる年代の人のことを「ジュニア」って呼んでいるんですね。中高校生のことですかね。「ヤング」という言葉はまだなかったのか? 今はなんていうのでしょう? 「ティーン」?
さて、『小説ジュニア』創刊から17年後の昭和57年6月号。最後の号です。サイズはA4判に変わっていて、表紙はモデルの女の子の写真。富島健夫が巻頭エッセイを寄せています。これ読むとジュニア小説の流れが一目瞭然。ジュニア小説の一時代を築いた人の一文は感動的でした。
この号には、第三回短編小説新人賞の結果が掲載されていて、佳作に竹内志麻子(当時16歳)の「幻想ポイザニング―夢中毒」というのが入っています。(昭和57年1月号に掲載されたらしい)。白黒ですが写真も載っていて、制服姿の竹内志麻子はちょっとふっくらしていて可愛らしい。
『小説ジュニア』がリニューアルした『Cobalt』。B4判になって表紙がイラストになったものの、内容は『小説ジュニア』を継承してます。氷室冴子とか久美沙織とか女優の原田美枝子の小説とか、新井素子、青島美幸のエッセイとか、眉村卓とか。
編集部でも方向性を決めかねていたようで、編集後記にご意見くださいと出ています。どんな雑誌でも読者の意見は募集しているものですが、これは文面がヒジョーに切実なのでした。(笑)
努力が実ってこの後コバルトの夏の時代がくるはずですが、それはまた別の機会に。
最終更新日:2001/11/09(HTMLとリンクを更新)