花郁悠紀子さんは、1976年から1980年までの5年間、秋田書店の『プリンセス』という雑誌で活躍した漫画家さんです。 学園ラブ・コメが多かった当時の少女漫画の中で、ファンタジックなコメディや能をテーマにした幻想的な物語、あるいは、 洋画を思わせる人間ドラマなど、花郁悠紀子さんの描く漫画はひときわ異彩を放っていました。
1980年の12月12日、胃癌のため、花郁悠紀子さんは、26歳の若さで亡くなりました。
『プリンセス』誌(多分、1981年の5月号ではなかったかと思います。)の読者欄の隅に載った訃報を読んだときのショックは忘れられません。
そのときはじめて、私は1980年夏に出た『ペーパームーン』誌に載った花郁さんのアンケート回答の中の
「Q.今、何でも消すことができる消しゴムがあったら何を消してみたいですか?―A.このおなかの痛みとしんどさ(消しゴムで消えるかどうか疑問だけど)」
というやり取りの"意味"を知ったのです。
もっともっと、作品を書き続けて欲しかったと思います。
花郁悠紀子さんが亡くなられてから、何年もの月日が流れました。
私は花郁さんが亡くなった年齢をとうに越してしまい、コミックスも書店から姿を消し、古本屋で見つけることも難しくなりました。
大好きだった花郁悠紀子さんの漫画が埋もれてしまうのが悲しくて、このページを開いたのが、1997年7月のことです。
そのおかげで、何人もの花郁悠紀子ファンの方とお知り合いになることができました。
デビュー当時からのファンの方、没後に出版された単行本でファンになった方、そしてごく最近花郁悠紀子作品をしった若い方。
花郁さんの作品を愛してくださっている方がたくさんいることを知り、ファンのひとりとして本当に嬉しく思いました。
1999年5月からは、待望の文庫版が発行され、入手困難だった作品が気軽に読めるようになりました。 引越しなどでコミックスを失ってしまった昔からのファンの方、どうぞまた花郁悠紀子さんの作品を手にとってください。 このページを読んで、花郁さんに興味をもたれた方、どうぞ一度読んでみてください。 そして、コミックスを大事に読み続けていた貴方も、一冊どうぞ。 そして読後の感想を【花郁悠紀子ファンルーム】の掲示板にお寄せいたけたら嬉しいです。
有里
2000/07/10
花郁悠紀子(かい・ゆきこ)。本名、開発公子(かいはつ・きみこ)。
1954年9月21日、金沢生まれ。
小・中・高校と高校卒業後の一年間の会社員生活までの19年間を金沢で過ごす。
高校時代に坂田靖子主催の同人誌『ラヴリ』に参加、
その後、萩尾望都の住み込みアシスタントとして上京。
のちに独立し、1976年春、秋田書店『ビバ・プリンセス』誌上の「アナスタシアのすてきなおとなり」でデビュー。
以後、ファンタジー、コメディ、人間ドラマまで、さまざまなジャンルの作品を書き続けた。
1980年12月12日、胃癌のため、故郷金沢で逝去。享年26歳。
現在『雨柳堂夢咄』などで活躍中の波津彬子(はつ・あきこ)は実妹である。
有里 (Alisato Akemi)
最終更新日:2001/11/06