原稿No.199901-02
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『SFマガジン』の新刊レビューのコーナーの「ヤングアダルト」の欄が「日本SF」の欄(だと思った)に統合されるそうであります。 WEB上のあちこちで繰り広げられていたらしいライトノベル論争とやらの影響なんでしょうか??
私はあの「ヤングアダルト」の使用法がすっごく厭だったので、なんかほっとしたというか何というか……。赤木かん子『ヤングアダルトブックガイド』(レターボックス社)に出てくるような本とスニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫を一緒くたにされたくないよなぁ。(図書館では一緒に並んでいるところもありますけど)あんなの「ヤングアダルト」ぢゃない!――と、ここまで考えて、ああこれってきっと「あんなのSFぢゃない!」と叫ぶ人の発想と同じなのねぇ、と気がつきました。
そうか、わたしって「SF」や「ミステリ」や「児童文学」というジャンルラベルには偏見もっているくせに、「ヤングアダルト」ってラベルには夢をもっていたんだねぇと思ったことです。
読んでるんですけどね、スニーカー文庫も富士見ファンタジア文庫もコバルト文庫もパレット文庫も多少は。でもキャラクターデザインさえ終わったらあとは切り張りと水増しで話をつくっているような「ノべル」(「小説」とは区別したい)が多くてね、なんだかな〜と。
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「オトナ」の読み物と見なされず、読んで人生が変わっちゃうのが「ヤング・アダルト」。
「オトナ」の読み物と見なされず、「キャラ萌え」を前提とした読み物が「ライトノベル」。
ジャンルじゃないですね、ワタクシの定義だと。自分の中での位置づけです。あ、「ライトノベル」ジャンルかもかも。「ヤング・アダルト」でかつ「ライトノベル」の本もあれば、どちらにも含まれない本というのも存在するわけで。
ちなみに「オトナ」というのは、「あなたはオトナですか」と尋ねられたときに躊躇せず肯定する人と「当たり前だ!」と怒る人たちのことをいいます。責任能力や実年齢は一切関係なし。
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赤木かん子の使っている「ヤングアダルト」という言葉にたいする【ヒラマド】さんの疑問への返答として【ニムさんの掲示板】に書き込んだものを別ファイルにしました。
オンライン書きしたのものもあるので、読み返すとちょっと変。
「北上次郎」の名前が出てくるのは、そもそもの発端が【ヒラマド】さんの1999年5月29日付けの日記「ヤングアダルトって……」が北上次郎が『本の雑誌』に書いた以下のような「ヤングアダルト」の定義に対する疑問から始まっていたからです。
1970年前後(中略)「大人が読む児童文学」に対してつけられた名称(『本の雑誌』1999.6,p16)
この件に関連するヒラマドさんの日記は以下。
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【青木みや】さんからヤングアダルトについての定義の話題が……。
YAについては以前話題になっていましたが、結局ちゃんとまとめられなかったんでした。
書店的には、14歳から19歳ぐらいまでの読者を対象とした本(小説とは限らない)ということになっているようです。中学・高校生向けの本ですね。
図書館的定義も同じようなものですね。児童書コーナーや大人向けコーナーに置くとしっくりしない本全部のことです。
赤木かん子的定義だと、アダルトチルドレン的なテーマが入り込むようではあります。
ワタクシ的な定義は、「1998.12.10 ワタクシ的ヤング・アダルトとライトノベルの定義」参照。出来のいい作品だけが「ヤングアダルト」。(笑)
「児童文学」「ジュブナイル(juvenile)」よりも対象年齢が上の本という感じでしょうか。
「少年少女」というのも外れてはいないと思いますが、それだと小学生・中学生向けという感じがするかな。
「ライトノベル」というのは、NIFTY SERVE(というか@niftyというか)の方言だったようです。「ノベル」っていうぐらいだから小説のみをいいます。コバルト文庫、スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫に入っている小説全般の呼称ですね。書き手の中には「軽い」の意味が含まれるのを好まない人もいるようですが。(なお、私は「軽い」の意味を含めて使っています。)
一般的な普及度はどうでしょう? 若い人向けっていう意味では比較的通じる言葉だと思いますけれど。
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ジュブナイルとヤングアダルトについて
【大森望さんの10月26日付日記】に、この話題が。もっと早く書いてくれれば、私が楽だったのに〜と思ったり……。私の定義は「1999.10.31 ヤングアダルト」参照。
私は「ジュブナイル」と「児童文学」とのニュアンスの違いをうまく説明できなかったので、なるほどと思いましたです。
大人の作者が子供の読者に向かって書くもの:児童文学
大人の作者が子供の読者に向かって書くもの+ジャンル小説:ジュブナイル
(精神的に)同世代読者に向かって書くもの:ヤングアダルト
というところでしょうか。この定義なら、サリンジャーもスニーカー文庫も「ヤングアダルト」になりますね。納得。
読んでいる人間にティーンじゃない人もいるという点に目をつぶれば、「ティーンズノベル」ってのは良いかもしれません。
スニーカー文庫などなどを「ヤングアダルト」と呼ぶ風潮にもだいぶ慣れたので、それでもいいですけどね。勝手にしてって、感じで。
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ああ〜、ファンタジー年表の更新をサボっている間に、【大森望さんの日記 11月18日】に怒涛の関連発言がぁぁぁ……。
リンクもされています。こんなことなら、もっとまじめに更新したのに。
あの年表(和製ファンタジー関連年表 テスト版)は、ファンタジー中心のつもりでしたが、ヤング・アダルトについて考えるなら、少なくともSFに関してはもう少し増補しないとだめですね。あれだけだと、「SFの夏の時代」がどこに位置していたかが読めなくて、トンチンカンな意見が出てきそうだし。
三村美衣さんの説だとヤング・アダルトの嚆矢は、笹本祐一『妖精作戦』(ソノラマ文庫, 1984)のようですね。(京フェスではどんな話題が出たのでしょう。早くレポートがあがらないかな)
引用します。
大人というものに魅力も価値も見失ったアウトサイダーたちの文学をアメリカの図書館はヤング・アダルトと分類した。少年たちが実際に使っているリアルな言葉で綴った一人称小説、若い書き手の登場による書き手と読み手の接近といった、現在の日本のヤング・アダルトにも通底する要素が、このときすでに内包されていた。
と、古い回顧を始めてしまったのは、今年、デビュー十周年を記念して新訂版が刊行された『妖精作戦』(笹本祐一)を眺めながら、いろいろ考えてしまったからだ。この本こそが、現在のヤング・アダルトの嚆矢となった作品である。実際には今後、角川文庫のファンタジー・フェアを経てスニーカー文庫が創刊し、雑誌<ドラゴンマガジン>がスタートして、ヤング・アダルト・マーケットは成立する。が、スピーディな展開がもたらすドライブ感や、七〇年代から八〇年年代にかけてのアニメや特撮ものを共通基盤にした、ヤング・アダルト独特のノリはこの小説から始まったといっていい。
(『SFマガジン 1995年2月号』p.376「SF総括1994 YOUNG ADULT 異世界ファンタジィ、他」)
(1999/11/27追記 大森日記によれば、この説に関しては本人も忘れていた模様だそうです。)
私はヤングアダルトの嚆矢は、〈クラッシャージョウ〉シリーズの第一巻が妥当だと思うし、「物語とイラストをパッケージにして商品化した」一番最初の作品は、〈ノースウェスト・スミス〉あたりでないの?(←単なる偏愛の結果か?) とか思うのですが。
末國義己「〈ヤングアダルト〉という現象 キャラクターと物語受容、その変容をめぐって」は読んでみたいので、『鳩よ!』を捜してみませう。(うちのご近所で見つかるかどうか疑問ですが。)大森せんせの反論を読む限り、すごくヘンみたいですねぇ。
〈十二国記〉は、最初の2作『月の影 影の海』と『風の万里 黎明の空』だけがヤングアダルトだと思います。
(しかし悪霊シリーズといい〈十二国記〉といい、なんで小野不由美はどれがどれだかわからなくなるようなタイトルをつけるんですかねぇ。ややっこしくてしょうがない。)
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昨日の続き。
以下、晶文社系ヤング・アダルトは「YA」、スニーカー文庫等などへつながるものを「おたく系ヤングアダルト」または、ただの「ヤングアダルト」と表記します。
〈クラッシャージョウ〉シリーズが本当に「ヤングアダルトの嚆矢」であるのかを確かめようと、WWWでソノラマ文庫の一覧を漁ってみました。
私の望むような形式のリストがなかったので、しょうがないので、またあちこちから資料を引いてきて、突き合わせてリスト作りました。
1980年12月刊行分までのデータが並んでいます。これ以降は、【TRC】で「ソノラマ文庫」をキー検索をかければ、ほぼ正確な刊行順リストを見ることが出来ます。
で、このリストを眺めていますと、ほんとに初期のものは鶴書房の〈SFベストセラーズ〉に入っていた作品だとか、横溝正史や野村胡堂などが並んでいますね。要するに単行本を文庫化したのだと思います。
1977年に入ると、辻真先や赤川次郎の名前も見えて、新作が増えてきているのかなぁという気がします。
ですが、妙なのは79番以降です。1977年の8月から10月にかけて、いきなり山村正夫編集のミステリーアンソロジーと吉田としの少女小説がまとめて入ってきます。なんなんでしょう、これ?いったいこの時期になにがあったのか、他文庫などとの関連を調べてみたい気がします。(単に担当編集者が替わっただけかも)
2003/10/08追記:1977年5月にコバルト文庫が創刊されています。これのせいかな?
で、1977年11月に〈クラッシャージョウ〉シリーズの第1巻、高千穂遥『連帯惑星ピザンの危機』が出ます。よっぽど売れたんでしょうね、その後3ヶ月おきに続編が出てます。そしてなんと90年代に入ってもまだ現役です。
さて、〈クラッシャージョウ〉シリーズが「ヤングアダルト」どうかですが、ソノラマ文庫に入っているから大人向けではないし、作者の視線は読者とほぼ同じ高さだし、ノスタルジー要素なんぞはないし、一応SFだし、大森望定義のヤングアダルトの条件(【狂乱西葛西日記99年10月26日】参照)は、十分満たしています。
というわけで、インパクトの強さと影響力の高さ(人気があるってことは、そういことです)から見ても、〈クラッシャージョウ〉シリーズが「ヤングアダルトの嚆矢」でありましょう。(少なくともソノラマ文庫においては)
実は少年少女向け文庫としては、ソノラマ文庫、コバルト文庫のほかに秋元文庫というのがあるんですが、これが少々気になります。
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コバルト文庫リスト(すみません、新井素子の著作の順番が間違ってました)を眺めていて思ったのだが、1981年に『星へいく船』を書いている新井素子は「ヤング・アダルトの嚆矢」じゃないんだろうか?
コバルト文庫に入っていて、作者が若くて、あの文体でSFなのに、なぜ新井素子は「ヤング・アダルト」と呼ばれないのだろう? 『奇想天外』出身だから?
うっかり新井素子を「ヤング・アダルト」に入れてしまうと、いままで「ヤング・アダルト」を馬鹿にしていた新井素子ファンのSF者の立場がないからだったりはしないですよね。(そういう人いるのかな? たいていの素子ファンは「ヤング・アダルト」に寛大だと思うが……)
もっとも私の感覚でも新井素子は「おたく系ヤング・アダルト」ではないんですけどね。それがなぜなのか、自分でもわからない。
デビュー時期が早すぎるせいなのかなぁ。寡作のせいかもしれません。
大森さんの「ヤング・アダルト」定義に「1年に3冊以上の文庫本を出す作家の作品」(1999/11/27追記 「単行本」じゃなくて「文庫本」ね。3冊じゃ多いか?)というのを付け加えるとよいのかも。(笑)
そうすりゃ、新井素子も小野不由美も「ヤング・アダルト」からは外れます。
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【狂乱西葛西日記99年10月26日】より
英語でjuvenileと言えば要するに児童文学なんだけど、カタカナのジュブナイルはちょっとニュアンスが違う。オレ的理解では、児童文学にジャンル小説(主にミステリとSF)を持ち込んだものが日本語の「ジュブナイル」。《ナンシー・ドルー》とか、はやみねかおるとか、『ねらわれた学園』とか。したがって、基本的には、大人の作者が子供の読者に向かって書くものであって、それを大人の読者が読む場合には、ノスタルジーがキーになることが多い。乱歩の少年物だって、発表当時からノスタルジックな世界だったわけで。
それに対してヤングアダルトは、(精神年齢的に)同世代の読者に向かって書かれた小説で、同じ文化を共有していることが前提。少なくとも発表時には、ノスタルジーとはあまり縁がない。富士見、電撃、スニーカー、コバルト、X文庫などティーンズ文庫とかジュニア文庫とか呼ばれてるものの大半はヤングアダルトですね。
オレの中では、ジュブナイル=児童文学寄り、ヤングアダルト=おたく寄り、という分類がなんとなくある。作品で言うと、『タイムリープ』は明らかにジュブナイルで、《ブギーポップ》はジュブナイル的な設定でヤングアダルトを書いてる感じ。
もっとも、ミドルティーン、ハイティーン向けの児童文学をヤングアダルトと呼んでいた歴史もあるので(晶文社が出してた叢書とか)、そのへんの刷り込みが強い人は、アニメ系のカバーのティーンズ文庫をヤングアダルトと呼ぶことに抵抗があったりしてむずかしい。オレは逆に、ジュニア小説とかジュニアノベルって呼称に激しく抵抗があるんですが(「ヤングアダルト」も最初はちょっと抵抗があったけどもう慣れた。「新本格」みたいなもんか)。
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