1998.12.17

サミュエル・ディレイニー『アインシュタイン交点』

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サミュエル・ディレイニー『アインシュタイン交点』(ハヤカワ文庫SF)

 表題の「アインシュタイン交点」は、ほとんど内容には関係がない。 表層的には、三万年の未来、異星からやってきた種族の青年が死んでしまった恋人を生き返らせるべく旅に出る話だが、 その物語の上に(「下」かもしれない)ジェイムズ・ジョイス的にいくつもの神話が重なっている。
あまりにややこしい話なので、よくわからない部分も多い。多分再読、再々読の必要があると思う。

以下は、私の覚え書きである。

 とりあえず最後まで読み終わり、読み取れた神話構造を整理してみる。

まず、基本となるオルフェウスのでてくるギリシャ神話のレベル。この話ではなぜかミノスが冥府の番人なので、「迷宮」と「冥府」が重なっていて、テセウスの物語が顔を出す。 主人公は、オルフェウスで、キッド・デスは、冥府の王。

それから、グリーン=アイがキリスト、キッド・デスが悪魔であるキリスト教神話のレベル。 (「処女生殖」というキーワードでトリガーが、かからなかったので、ちょっと悔しい)

そして、ビリー・ザ・キッド神話のレベルとジーン・ハーロウの出てくるハリウッド神話のレベル。 ビートルズ神話を介してロックン・ロールのほのめかしがあるらしいが、私にはいまいち読み取れない。

しかし、これらの神話の階層からどういう「図形」が出てくるというのだろう??

 フェードラは、クノッソスの迷宮を作ったミノス王の娘でアリアドネの姉妹で、テセウスの妻であることを知る。 (もちろん、義理の息子に懸想した女でもある) だから「わたしは、あんたを正しい迷宮へみちびく女でもないし」(p.59)なのか。
オルフェウスは、池田理代子『オルフェウスの窓』にも出てくるあの人なのだが、冥府から戻ったオルフェウスについては、こんな物語まで付いていた。

トラキアの人びとに、少年を愛し、まだ大人にならぬうちに人生の春と最初の花とを摘むことを身を持って教えたのは、じつにオルペウスその人だったのである。 (オヴィディウス『転身物語』p.345 ,人文書院, 1981)

おおっとぉ〜〜。 オルフェウスって、ゲイになったのか...。 これで、一気に他のことはどうでも良くなってしまう。
が、気を取り直して(笑)、引っかかる点のチェック。

・<ダヴ>について。dove と love は、果てしなく似ている。形も音韻も。

・あとがきにあったゆらぎを含んだ日本語のひとつは「かぐろい(p.224)」ではないだろうか。 わざわざ「かぐろい」というあまり使われない形容詞を使うところがあやしい。 原文は多分 dark だと思うが、「暗い」「黒い」に「隠された」の「隠(かく)」の音を重ねたのでは。

・オリジナル題名のFabulous, Formless Darknessは、あとがきにあるように『摩訶不思議な混沌とした闇黒』あるいは『信じがたい形なき暗黒』の他に、 「寓話的(伝説的)な形なき闇」とも訳せると思う。むしろそっちの意味の方が「多層階層の神話による曖昧な小説」としてのこの本にふさわしい気がするが...。

・ キッド・デスには、「夭折」の意味はあるだろうか(「青春のイメージは、いまなおぼくを悩ませる(p.182)」)。 英語に「夭折」に当たる名詞はないようだが、フランス語にはどうだろう? 彼にまつわりつく鮫のイメージは何を意味しているのだろう?

・作中にはっきりと現れているわけではないが、絶対『黒いオルフェ』(「黒い娘をさがすはずが、君は銀色ときてる(p.218)」)とコクトーの『オルフェ』のイメージ(「ほかをさがすことだね、鏡のフレームのそとを――(p.230)」)は、重なっていると思う。 p.181の「ぼくの耳は漏斗だ。」は、コクトーでしょう。

・なぜ、キリストが「グリーン=アイ」なのか? 緑の眼って何だ?自動検索も辞書も「オセロ」の方向を指しているけど、キリストが「嫉妬」なんだろうか?

 グリーン=アイは、go to the tree, hang there するわけだが、「十字架に架る」意味ならキリストでも、 「木で首を吊る」意味だったらユダになってしまう。うーん、うーん、うーん。 自分を「イスカリオテ」だというスパイダーは、途中で「ピラト」になっちゃうし...。 「何もかもが変わっていくんだ(p.203)」というのは、メタファーとしての役割が変っていくってことなんだろうか?
(98.06.11)


 某サイトで、この作品がポルノであるという意見を読み、誘惑に抗しきれず、そういう方向で3回目を読んでみる。 「山刀」と「笛」が出てくるので、そういう風に読める可能性にも気付いていたのだが、あえて無視していたのである。(笑)

 今度は、「山刀」「笛」はもちろん、「音楽」「ビート」「ロック」という音楽に関連する単語も全て性的なメタファーとして読み替えていく。 すると、意外や意外、現れたのはポルノというよりセクシャリティの「違い」に目覚めた青年の寓話的な遍歴譚であった。 ( 寓話的というのは、その視点で読むと舞台が三万年後の未来であろうが1960年代現在であろうが、どうでもよくなってしまうからだ。) 「男」はそういうことを考えないものらしいから、結局それは、男でない男=ゲイの物語とということになろう。 (このあたり、橋本治の論理が入ってます。)

 この読み方だと、神話的レベルではどうにも浮いてしまう「ラ」「ロ」「レ」という称号の意味がはっきりしてくる。 オルフェウス神話にもきっちり重なる上に、ディレイニー自身の物語のも重なり合う。 どうやら、私としては、これが一番すっきり納得できる読み方のようである。
(98.06.12)


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有里 (alisato@anet.ne.jp)
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