1999.06.23

コニー・ウィリス『ドゥームズディ・ブック』

HOME】 [Diary]
戻る


 コニー・ウィリス『ドゥームズディ・ブック』(早川書房)読了。
 いやぁ、凄い。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞のトリプルクラウンは伊達じゃない傑作。
クリスマスの話なので、初夏の気分の6月に読むにはふさわしくなかったかもしれんけど。

 物語は21世紀のクリスマスシーズンのオックスフォードで、史学科の女子学生のギヴリンが、1300年代のイギリスに送られるところから始まる。 この時代、過去に向かってのタイムトラベルが実現し、歴史研究のために利用されているという設定である。 危険が多すぎるという史学科教授のダンワーシイの反対を押し切って、ギヴリンは出発するが、その直後タイムトラベルを担当した技師が謎の疾病に倒れる。 一方、過去に送られたギヴリンも同じ病に倒れ、一命は取りとめたものの、未来へ戻るためのゲートの位置がわからなくなってしまう。
 以降、伝染病により隔離されてしまった21世紀のオックスフォードで、ギヴリンの無事を確認しようと奔走するダンワーシイ教授のパートと、未来へ戻ろうとする14世紀のギヴリンのパートが交互に描かれていく。

 タイムトラベル物だが、タイムパラドックスは起こらないと設定されているので、通常のタイムトラベルSFとは趣を異にする。 タイムパラドックスを防ぐために奔走する話ではなく、時の向こうとこちらで、人々がいかにして運命と闘おうとしたかという物語なのだ。

 表題の「ドゥームズディ・ブック」は、英国のウィリアム一世が1089年に作らせた土地台帳のことだが、ギヴリンが歴史の記録のために持ち込んだレコーダーにつけた名前のことでもあり、 「運命の日」「最後の審判の日」という意味も掛けられている。
 実のところ、このタイトルと14世紀イギリスが舞台ということで、相当に悲惨な物語を思い浮かべていたのだが、予想に反して中盤までの21世紀パートなどは、ほとんどコメディのノリなのだった。 もちろん、読者の予想は裏切られないのではあるが、そこに至るまでにすっかりコニー・ウィリスの手腕にからめとられて、あとはラストまで一気に読み進めるほかはないのだった。

 私は学生時代に英国の中世文学を学んだことがあって、この memento mori(死を忘れるなかれ)の時代には結構親しみ(?)があるのだ。 だから、作中のギヴリンの受ける印象と私自身の印象が重なる部分があって、とても興味深い。チョーサーの『カンタベリー物語』の冒頭が引用されたりすると、思わずにやりとしたりした。

 訳者が”技のデパート”と呼ぶ、ウィリスの小説技巧は数え上げるときりがないのだけれど、とりわけ印象に残るのが小道具の使い方の巧さだ。 ギヴリンの着る白い外套や青いガウン、コリンの飴玉やマフラー、アグネスの黒い犬、ブローチ、そして傘。それらの品の色彩も含めた扱いの見事さに感嘆していたのだが、ウィリスが『リメイク』というハリウッドを舞台にした作品も書いているのを知って、合点がいった。 なるほど、コニー・ウィリスというのは池波正太郎と同じく「映画的な作家」であったのか。

 訳者あとがきには、21世紀パートと14世紀パートの重ねあわせるとあるが、むしろタイムトラベルのゲートを中心に21世紀と14世紀が点対称に配置されているといった方が正確かもしれない。 ふたつの時代で起こる災厄だけでなく、人物配置についてもかなり綿密に計算してあるのだと思う。それぞれのパートの誰が誰に対応するか考えるのも一興である。 コリンとロズムンドがともに12歳であるのは、もちろん偶然ではないだろう。

 読んでいて不思議に思ったのは、訳語のゆらぎである。たとえば、コリン少年の口癖は、最初はカナ表記で、後で出てくるときには漢字にふりがなが振られている。 小説のテーマにも深く関わってくる言葉なので、これは意図的なものだろう。コニー・ウィリスは言葉遊びが好きらしいから、この手の言葉は他にもありそうだ。 となると、同じように最初はカタカナ表記で、後になって漢字にフリガナ付きで出てくる「シークエンス」と「アナログ」という言葉は、どうなのだろう? 後の方では医学用語として、「塩基配列同定」「類似体」と訳されているのだけれど、元プログラマの私がにとっては、「シークエンス」は「ランダム」と、「アナログ」は「デジタル」と対になる言葉なのだ。 はたして何か意味が掛けてあるのだろうか? それともなんにもないのだろうか? ああ、気になる……。

 キャラ萌え至上主義者(笑)として、キャラクターについてもコメントしておく。
 私の一番のヒイキはもちろんダンワーシイ教授だが、近頃、歳のせいかショタコン気味でコリン少年にも萌えているのであった。 (しかし、舐めた飴玉をポケットに入れるのは、やめれ>コリン) 読んでいて何度もひっぱたきたくなったのはアグネスだが、その感情もコニー・ウィリスに仕掛けられたものかもしれない。
 登場人物たちに共感し、あるいは腹を立てるのは、この小説ではとても重要なことだ。そう彼らは、「生きた人間」でなければいけない。 この小説がネクロティックでアプカリプティクなのは、すべてそのためなのだから。

 ということで、SFを読まない人にも超おすすめである。
読むのはやっぱりクリスマスシーズンの方がいいと思う。


 1999年6月14日付日記にも、関連事項の言及があるので、よろしければそちらもご覧ください。
戻る

By 有里 alisato@anet.ne.jp
http://alisato.cool.ne.jp/